まいり
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大前靜

おおまえしず
1898 - 1963
画家
大前靜さんについて
明石城主小笠原家の家臣、大前助重郎の九代目子孫範次郎の四女として明治31年3月21日、明石に生まれる。父は造り酒屋やマッチ工場を経営。小学校の時に高熱を出し、回復と共に次第に聴覚を失う。尋常高等小学校卒業後、京都の狩野派の絵画を学ぶ。中央美術展入選。狩野派で画家の船崎光治郎と出会い、結婚。米国人キリスト教宣教師ロイス・クレーマーから洗礼を授かる。日本聾唖学校や、牛込のえぱた教会、樺太豊原聾唖学校で、図画を指導。後の駐日米国大使エドウィン・ライシャワーの妹、フェリシア・ライシャワーに、明治学院キャンパス宣教師住宅のライシャワー宅で、日本画を手ほどきした。 大前靜はフェリシアが米国からもたらした口話法を完全に習得し、手話を使用せず、口の動きだけでコミュニケイションが可能であった。大正中期から昭和初期にかけて、磐田鎌太郎や山中忠太郎と共に、「聾唖界」誌に寄稿(「樺太通信」など)した中心メンバー。編集委員に就き、東京婦人部会の役員。牧野富太郎博士の元で、江戸時代の博物画家、関根雲停の植物画を模写し、女手一つ、絵筆一本で娘二人を女学校へ行かせた。聾唖者でありながら、芸術家として、精力的に作品制作をした。
2020.07.04 ID:634835
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