まいり

サヨン・ハヨン

さよん はよん
1920 - 1938
サヨンの鐘 日本統治時代の台湾の少女
サヨン・ハヨンさんについて
1938年(昭和13年)、日本統治下の台湾・台北州蘇澳郡蕃地大字リヨヘン社に駐在していた日本人の巡査田北正記に召集令状が届き、出征することとなった。その巡査は村の学校の教師も務めるなど面倒見がよく、村人から慕われていたため、下山する際の荷物運びを村の青年たちが申し出た。17歳の少女サヨン・ハヨン(漢字名:沙韻 哈勇)もその一人だった。一行は悪天候の中出発したが、途中の川に掛かった丸木橋を渡る際、荷物を背負っていたサヨンは足を滑らせて増水した川に落ち、命を落とした。

この話は、出征する恩師を見送るために少女が命を犠牲にした、ということから、台湾先住民宣撫のための格好の愛国美談となって広まり、台湾総督によってサヨンを顕彰する鐘と碑が遭難現場付近に建てられた。これが「サヨンの鐘」と「愛國乙女サヨン遭難の碑」である。

「大東亜戦争」勃発後の1943年、山地名の日本色強化政策により、サヨンの故郷・リヨヘンもこの物語により鐘ヶ丘(かねがおか)に改称された。

第二次世界大戦後、台湾に移ってきた国民党政権によって、日本の台湾統治の象徴のひとつであるこの鐘は撤去され、碑も碑銘を削った上で廃棄された。その後、台湾の民主化とともに鐘は復元され、碑も、新しい碑と並んで再び建てられている。また、サヨンの住んだ村の付近に架けられた橋には「サヨン橋」という名もつけられている。
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2020.08.12 ID:691010
これからも日台友好の架け橋として未来永劫サヨンの鐘が鳴り続けることを願わずにはいられません。
2020.04.14 ID:574172
サヨンさんの話、初めて知りました。物語ではなく実話として、私には美談ではなく、唯々切なく悲しい思いです。御安霊の安らかならんことをお祈りします。
2020.03.25 ID:394344
お悔やみ申し上げます
1938年09月27日に亡くなった人