玉城盛義
たまぐすく せいぎ
1889 - 1971
琉球舞踊家 組踊役者 沖縄芝居役者
- 亡くなってから53年4日過ぎました。
- 81歳で亡くなりました。
- 1889年12月20日に誕生、1971年12月19日に亡くなりました。
- 生誕131年が経過しました。没後49年が経過しました。
暮らした時代は、明治 から 昭和 です。一覧
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玉城盛義さんの暮らした時代を表示しています。
明治(23年227日)
大正(15年151日)
昭和(46年6日)
- 次の法要は46年8日後、2070年12月19日の百回忌です 一覧
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玉城盛義さんの主な法要の日を表示しています。
命日は12月19日です。
仏式の場合
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初七日 - 1971年12月25日
四十九日 - 1972年02月05日
百か日 - 1972年03月27日
一周忌 - 1972年12月19日
三回忌 - 1973年12月19日
七回忌 - 1977年12月19日
十三回忌 - 1983年12月19日
十七回忌 - 1987年12月19日
二十三回忌 - 1993年12月19日
二十五回忌 - 1995年12月19日
二十七回忌 - 1997年12月19日
三十三回忌 - 2003年12月19日
五十回忌 - 2020年12月19日
百回忌 - 2070年12月19日
百五十回忌 - 2120年12月19日
二百回忌 - 2170年12月19日
三百回忌 - 2270年12月19日
神式の場合
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十日祭 - 1971年12月28日
二十日祭 - 1972年01月07日
三十日祭 - 1972年01月17日
四十日祭 - 1972年01月27日
五十日祭 - 1972年02月06日
一年祭 - 1972年12月19日
三年祭 - 1974年12月19日
五年祭 - 1976年12月19日
十年祭 - 1981年12月19日
二十年祭 - 1991年12月19日
三十年祭 - 2001年12月19日
四十年祭 - 2011年12月19日
五十年祭 - 2021年12月19日
百年祭 - 2071年12月19日
百五十年祭 - 2121年12月19日
二百年祭 - 2171年12月19日
三百年祭 - 2271年12月19日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1971年12月21日
追悼ミサ(七日目) - 1971年12月25日
追悼ミサ(三十日目) - 1972年01月17日
死者記念のミサ(一年目) - 1972年12月19日
死者記念のミサ(十年目) - 1981年12月19日
死者記念のミサ(二十年目) - 1991年12月19日
死者記念のミサ(五十年目) - 2021年12月19日
死者記念のミサ(百年目) - 2071年12月19日
死者記念のミサ(二百年目) - 2171年12月19日
死者記念のミサ(三百年目) - 2271年12月19日
- 現在1人がこのページに訪れています。
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1時間:0人 1日:1人 1週:1人 1カ月:4人 1年:122人
詳細
玉城盛義さんについて
明治27年6歳の時、仲毛芝居で「大川敵討」の若按司役で初舞台を踏む。17歳で叔父の玉城盛重から組踊の指導を受ける。女形としてまた二枚目として中座に出演。大正3年中座の「奥山の牡丹」で一躍名をあげる。一方、琉球舞踊の稽古所を開き、辻町の遊女たちの舞踊の指導にも当たる。10年琉球舞踊団を結成して大阪やハワイで公演。昭和7年高安高俊らと劇団「真楽座」を創立。11年琉球芸能の東京公演に参加、組踊「銘刈子」を演じて注目を集める。戦後は梅劇団の副団長として活躍。27年那覇市に舞踊研究所を開設。玉城流・玉扇会をつくって門下の育成に尽力。また多くの創作をも手がけ作品に「戻り駕」「王女と犬太郎」「中城落城」の振付けなどがある。無口で万事控え目な人柄で「玉城のターリー(だんなさま)」と敬称された。42年琉球政府から組踊技能保持者に認定された。上間郁子ら多くの女優や舞踊家を育成。昭和44年勲五等瑞宝章受賞。 芸術祭奨励賞受賞。
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