マサチューセッツ州ウースターに生まれ育った。高校生の時に地元の看板屋の見習いになり、後に Worcester Art Museum Schoolで美術を学んだ。
州兵として27年間服役し、第二次世界大戦中には沖縄戦にも従軍した。1973年に准将を引退し、陸軍予備軍として6年間服役した。1979年に大佐を引退した。
第二次世界大戦後、地元の広告会社勤務を経て、1959年に自身の広告会社 Harvey Ball Advertising を設立して独立した。
スマイリーフェイスは1963年12月に発明された。マサチューセッツ州ウースターにあるステート生命保険の関連会社が、合併による士気の低下を防ぐ社内キャンペーンとして、ポスターやカード、バッジなどで使うデザインをボールに依頼した。ボールは10分足らずでスマイリーフェイスを完成させた。
スマイリーフェイスは1970年代初めにブームを巻き起こし、「モナ・リザ以来の笑顔」と評された。スマイリーフェイスでの収入はわずか45ドルだったが、ボールはスマイリーフェイスを商標登録せず、息子チャールズによればそれを後悔することもなかったという。
しかしその後「スマイル・ブーム」は世界規模となり、日本でも1970年(昭和45年)に米国の文具ショーを訪ねた文具メーカー等によって真似られ、日本に導入し「ニコニコ・マーク」「ラブ・ピース」として大流行が作られた。
ハーベイ・ボール - Wikipedia