内田裕也
うちだ ゆうや
1939 - 2019
ロック歌手 俳優
- 亡くなってから5年281日過ぎました。
- 79歳で亡くなりました。現在の年齢は85歳です。
- 1939年11月17日に誕生、2019年03月17日に亡くなりました。
- 生誕81年が経過しました。没後1年が経過しました。
- 暮らした時代は、昭和(50年65日)、平成(31年76日) です。
- 次の法要は85日後、2025年03月17日の七回忌です 一覧
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内田裕也さんの主な法要の日を表示しています。
命日は03月17日です。
仏式の場合
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初七日 - 2019年03月23日
四十九日 - 2019年05月04日
百か日 - 2019年06月24日
一周忌 - 2020年03月17日
三回忌 - 2021年03月17日
七回忌 - 2025年03月17日
十三回忌 - 2031年03月17日
十七回忌 - 2035年03月17日
二十三回忌 - 2041年03月17日
二十五回忌 - 2043年03月17日
二十七回忌 - 2045年03月17日
三十三回忌 - 2051年03月17日
五十回忌 - 2068年03月17日
百回忌 - 2118年03月17日
百五十回忌 - 2168年03月17日
二百回忌 - 2218年03月17日
三百回忌 - 2318年03月17日
神式の場合
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十日祭 - 2019年03月26日
二十日祭 - 2019年04月05日
三十日祭 - 2019年04月15日
四十日祭 - 2019年04月25日
五十日祭 - 2019年05月05日
一年祭 - 2020年03月17日
三年祭 - 2022年03月17日
五年祭 - 2024年03月17日
十年祭 - 2029年03月17日
二十年祭 - 2039年03月17日
三十年祭 - 2049年03月17日
四十年祭 - 2059年03月17日
五十年祭 - 2069年03月17日
百年祭 - 2119年03月17日
百五十年祭 - 2169年03月17日
二百年祭 - 2219年03月17日
三百年祭 - 2319年03月17日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 2019年03月19日
追悼ミサ(七日目) - 2019年03月23日
追悼ミサ(三十日目) - 2019年04月15日
死者記念のミサ(一年目) - 2020年03月17日
死者記念のミサ(十年目) - 2029年03月17日
死者記念のミサ(二十年目) - 2039年03月17日
死者記念のミサ(五十年目) - 2069年03月17日
死者記念のミサ(百年目) - 2119年03月17日
死者記念のミサ(二百年目) - 2219年03月17日
死者記念のミサ(三百年目) - 2319年03月17日
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1時間:0人 1日:1人 1週:1人 1カ月:19人 1年:495人
詳細
内田裕也さんについて
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日、東京都内で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。
希林さんの死から半年、波乱に満ちた“ロケンロール人生”に幕が引かれた。年明けから体調が悪化し、17日に天に召された。1995年に俳優の本木雅弘(53)と結婚した長女の也哉子(43)らが裕也さんの遺体に寄り添っていた。
晩年は病気やケガと闘う日々が続いた。16年11月に英国ロンドンのホテルの浴室で転倒し、尾てい骨を強打。17年夏には転倒して右足甲を骨折。さらに同11月に脱水症状を起こして緊急入院するなど、満身創痍(そうい)だった。
完全復帰を目指してリハビリに励んできたが、日増しに体力は低下。自身が主催する恒例の年越しライブ「ニューイヤーロックフェスティバル」にも17~18年からは車椅子で出演。執念で立ち上がり、熱唱する状況が続いていた。12年から毎年欠かさず参列していた3月11日の東日本大震災の追悼式も今年は欠席していた。
エルビス・プレスリーに憧れて高校を中退し、1957年にバンドボーイとして音楽活動をスタートさせた。幾つかのバンドを渡り歩き、66年のビートルズ日本公演では尾藤イサオ(75)らとの特別編成のバンドで前座を務めた。
同年、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」で活動していた沢田研二(70)らをスカウト。これが後のザ・タイガースとなった。67年には麻生レミをボーカルに据えて結成したフラワーズにジョー山中さんらが参加し、フラワー・トラベリン・バンドとして再編成。アルバムがカナダチャートで8位を記録するなど海外でも活躍し、邦楽ロックの礎を築いた。
70年代からは映画俳優としても活躍。崔洋一監督の「十階のモスキート」(83年)、自ら脚本を手掛けた滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)など話題作に主演した。
(スポニチ発)
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