☆歴代天皇(まいり)
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記紀に伝承される第10代天皇。名は御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)。開化天皇の第2皇子で、母は伊香色謎命(イカガシコメノミコト)。御間城姫命(ミマキヒメノミコト)を皇后とし、磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)に都したという。
記紀には、天照大神や大物主神を祀って祭祀を整備したこと、四道将軍を遣わして支配領域を広げたこと、孝元天皇の皇子武埴安彦命(タケハニヤスビコノミコト)が反したが平定されたこと、男には弓弭調(ゆはずのみつぎ)、女には手末調(たなすえのみつぎ)という税を課して財政制度を確立したこと、朝鮮(任那)から初めて朝貢を受けたことなどが記されている。
このように崇神は原始国家の統一政権を確立したことから「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とも称されており、この称号は神武天皇とも重なることから、崇神こそが実在の確実な初代天皇とする意見がある。また三輪地域の伝承などから三輪王朝の始祖とする説や、北方騎馬民族の王とする説もあるが、実在を疑う説もある。在位68年、120歳で崩じたという。