五月女正治
さおとめ しょうじ
1937 - 2017
元山一證券会長
- 亡くなってから7年88日過ぎました。
- 80歳で亡くなりました。現在の年齢は87歳です。
- 1937年09月24日に誕生、2017年10月05日に亡くなりました。
- 生誕83年が経過しました。没後3年が経過しました。
- 暮らした時代は、昭和(52年119日)、平成(29年278日) です。
- 次の法要は5年279日後、2029年10月05日の十三回忌です 一覧
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五月女正治さんの主な法要の日を表示しています。
命日は10月05日です。
仏式の場合
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初七日 - 2017年10月11日
四十九日 - 2017年11月22日
百か日 - 2018年01月12日
一周忌 - 2018年10月05日
三回忌 - 2019年10月05日
七回忌 - 2023年10月05日
十三回忌 - 2029年10月05日
十七回忌 - 2033年10月05日
二十三回忌 - 2039年10月05日
二十五回忌 - 2041年10月05日
二十七回忌 - 2043年10月05日
三十三回忌 - 2049年10月05日
五十回忌 - 2066年10月05日
百回忌 - 2116年10月05日
百五十回忌 - 2166年10月05日
二百回忌 - 2216年10月05日
三百回忌 - 2316年10月05日
神式の場合
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十日祭 - 2017年10月14日
二十日祭 - 2017年10月24日
三十日祭 - 2017年11月03日
四十日祭 - 2017年11月13日
五十日祭 - 2017年11月23日
一年祭 - 2018年10月05日
三年祭 - 2020年10月05日
五年祭 - 2022年10月05日
十年祭 - 2027年10月05日
二十年祭 - 2037年10月05日
三十年祭 - 2047年10月05日
四十年祭 - 2057年10月05日
五十年祭 - 2067年10月05日
百年祭 - 2117年10月05日
百五十年祭 - 2167年10月05日
二百年祭 - 2217年10月05日
三百年祭 - 2317年10月05日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 2017年10月07日
追悼ミサ(七日目) - 2017年10月11日
追悼ミサ(三十日目) - 2017年11月03日
死者記念のミサ(一年目) - 2018年10月05日
死者記念のミサ(十年目) - 2027年10月05日
死者記念のミサ(二十年目) - 2037年10月05日
死者記念のミサ(五十年目) - 2067年10月05日
死者記念のミサ(百年目) - 2117年10月05日
死者記念のミサ(二百年目) - 2217年10月05日
死者記念のミサ(三百年目) - 2317年10月05日
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詳細
五月女正治さんについて
(元山一證券会長)「法人の山一」の看板支える
2017/11/22付日本経済新聞 夕刊
初めてお目にかかったのはまだ元号が昭和だった1988年の春のこと。駆け出しの記者として、証券市場の基礎を教えていただいた。
事業法人の株式や社債の発行を取り仕切る「引き受け」という業務の専門家だった。時はバブルの最盛期。企業の資金調達意欲は旺盛で、引き受けの仕事も多忙を極めていたに違いない。しかし、いつ足を運んでもゆったり構え、語り口は丁寧だった。理解が難しい実務は部下や同僚を呼び、学ばせてくれた。
収益面で四大証券の4番目が指定席だった山一証券も、法人の資金調達に関しては最大手の野村といい勝負だった。「法人の山一」の金看板を支えるプレッシャーにもさらされていたはずだが、なぜか笑顔の記憶しかない。
この快活な紳士に、運命は「山一最後の会長」という使命を与えた。97年11月24日の自主廃業。役所や銀行、社員とのやりとりでは社長だった野沢正平氏に寄り添い、沈着冷静な受け答えに徹した。
2005年1月、山一の解散手続きが終わった後で近況を聞いた。「いろいろ声をかけてくれる会社がある。ありがたいよ」。どこか悟ったような笑顔で語り、人混みに消えた姿を思い出す。乱れたところを見せない人だった。
=2017年10月5日没、80歳
(編集委員 小平龍四郎)
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