高橋進
たかはし すすむ
1924 - 1991
海軍軍人
- 亡くなってから33年20日過ぎました。
- 67歳で亡くなりました。
- 1924年05月13日に誕生、1991年12月03日に亡くなりました。
- 生誕96年が経過しました。没後29年が経過しました。
暮らした時代は、大正 から 平成 です。一覧
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高橋進さんの暮らした時代を表示しています。
大正(3年226日)
昭和(63年30日)
平成(3年330日)
- 次の法要は16年350日後、2040年12月03日の五十回忌です 一覧
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高橋進さんの主な法要の日を表示しています。
命日は12月03日です。
仏式の場合
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初七日 - 1991年12月09日
四十九日 - 1992年01月20日
百か日 - 1992年03月11日
一周忌 - 1992年12月03日
三回忌 - 1993年12月03日
七回忌 - 1997年12月03日
十三回忌 - 2003年12月03日
十七回忌 - 2007年12月03日
二十三回忌 - 2013年12月03日
二十五回忌 - 2015年12月03日
二十七回忌 - 2017年12月03日
三十三回忌 - 2023年12月03日
五十回忌 - 2040年12月03日
百回忌 - 2090年12月03日
百五十回忌 - 2140年12月03日
二百回忌 - 2190年12月03日
三百回忌 - 2290年12月03日
神式の場合
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十日祭 - 1991年12月12日
二十日祭 - 1991年12月22日
三十日祭 - 1992年01月01日
四十日祭 - 1992年01月11日
五十日祭 - 1992年01月21日
一年祭 - 1992年12月03日
三年祭 - 1994年12月03日
五年祭 - 1996年12月03日
十年祭 - 2001年12月03日
二十年祭 - 2011年12月03日
三十年祭 - 2021年12月03日
四十年祭 - 2031年12月03日
五十年祭 - 2041年12月03日
百年祭 - 2091年12月03日
百五十年祭 - 2141年12月03日
二百年祭 - 2191年12月03日
三百年祭 - 2291年12月03日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1991年12月05日
追悼ミサ(七日目) - 1991年12月09日
追悼ミサ(三十日目) - 1992年01月01日
死者記念のミサ(一年目) - 1992年12月03日
死者記念のミサ(十年目) - 2001年12月03日
死者記念のミサ(二十年目) - 2011年12月03日
死者記念のミサ(五十年目) - 2041年12月03日
死者記念のミサ(百年目) - 2091年12月03日
死者記念のミサ(二百年目) - 2191年12月03日
死者記念のミサ(三百年目) - 2291年12月03日
- 現在1人がこのページに訪れています。
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1時間:0人 1日:0人 1週:4人 1カ月:5人 1年:115人
詳細
高橋進さんについて
海軍巡洋艦「由良」乗務、同艦の自沈喪失後、佐世保にて陸戦隊へ転籍。その後、グアム島守備隊に配属後、その地での玉砕戦闘で戦死広報まで届き、英光院義貫勇進居士として葬儀、戸籍抹消されるも、生還し終戦後に復員。
叔父矢野松五郎の長女澄江と結婚、宮崎県延岡市山月町にて三男を設けた後、愛知県小牧市野口を経て春日井市に移住する。その後、市内春日井市大手町に戸建て住居を新築し、本籍を移すとともに市内潮見坂霊園に墓所を確保するとともに、平成2年の長男による自宅の建替えに合わせ、菩提寺を大分県佐伯市の大日寺からの紹介を得て、春日井市田楽町の秋葉山林昌院に分移し、仏間仏壇に本尊大日如来の開眼供養を催したのを見届けて、翌平成3年12月3日、僅か百日の肺癌闘病ののちに永眠した。
戒名は、本人の生前からの希望により、戦死時に母親の尽力にて得られたという「英光院義貫勇進居士」を、改めて導師高橋錦瑞権大僧正から受け直して、市内の潮見坂霊園に眠る。
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