まいり

近角聡信

ちかすみ そうしん
1922 - 2016
東京大名誉教授 物理学
お線香をあげる   お花をあげる
近角聡信さんについて
1945年東京大学理学部物理学科卒業。
1950年学習院大学理学部助教授。
1951年理学博士。
1953年学習院大学理学部教授。
1959年東京大学物性研究所教授。
1983年慶応義塾大学理工学部教授。東京大学名誉教授。
1988年慶応義塾大学理工学部客員教授。
1990年江戸川大学教授。
1998年江戸川大学退職
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2019.10.13 ID:337642
上田武之
先生は日本磁気学会会長を務められ、近角賞をも創設されました。最初の受賞者にはアモルファスの研究では世界的権威である慶応大学教授の米澤富美子氏が選ばれました。 ところで、ドイツのルドルフ・メスバウアー教授が、カリフォルニア工科大学からミュンヘン工科大学に戻られたとき大学の機構改革を強行されたそうですが「これは第二メスバウアー効果と呼ばれています。」と先生は話しておられました。妻の甥(西山雄太)が此の大学の応用物理工学科で学んでおりましたので、強く印象に残っております。甥はその後、ミュンヘンのコンセルバトワールと音楽大学を終えた後、ベルリン・コーミッシェオパーのヴィオラ奏者に迎えられ、演奏活動の傍ら今度はベルリン芸術大学大学院でヴィオラを専攻し卒業しました。N響の第一コンサートマスターのマロさん事、篠崎史紀氏とは親交が厚く北九州国際音楽祭などで共演しております。奇遇ですが甥はアインシュタイン博士と同じくウルムで生まれております。彼の父、定雄氏はカラヤンが初指揮した事で知られるウルム歌劇場で第二ヴァイオリンの首席奏者として永年活躍されました。ソプラノ歌手鮫島有美子さんは同僚になります。
2019.04.23 ID:301184
上田武之
先生のお父様は琵琶湖のほとり、湖北町から東大の赤門前に求道会館を開かれ布教活動をされた浄土真宗の高僧で浄土真宗三羽ガラス(近角常観、金子大栄、曽我量深)の一人として活躍されました。
ベルリンでは第一回の「花まつり」開催メンバーの一人であり、
アインシュタイン博士が来日した折には、「仏さまとは、どういうお方ですか?」という質問に対して「姥捨て山」のお話をしてこれに答えたそうです。聰信先生からアインシュタイン・ドハースの実験のお話を聞いた事がありますが、お父様がアインシュタイン博士と対談していたとは知りませんでした。
浄土真宗三羽ガラスのお話は、名古屋 西林寺住職の長谷川正徳師より伺いました。
求道会館は現在、聰信先生の次兄真観さんの長男の真一(東京建築士会会長)さんと奥様の よう子(同じく建築家)さんが管理しております。一度、求道会館を訪れことがありました。隣接する近角建築設計事務所も訪問しましたが、事務所の吉田氏のお話しでは二人共、旅行中とのことで残念ながらお会いできませんでした。
2019.04.22 ID:300884
上田武之
先生大変お世話になりました。1980年12月25日(土)に私が主宰する「物性の科学を楽しむ会」の第二回公開講座で「物理の散歩道」という演題で講演して頂きました。(NHK釧路放送局が全面的に協力。)
 第一回には中央大学教授の宮原将平先生に「理科と文科」という演題で講演して頂きましたが、お二人共、茅 誠司先生(元東京大学学長)の門下生ということでNHK釧路放送局の曽宇氏に宮原先生にも近角先生に講演の依頼をお願いしてほしいとの要請を受けて姉とハワイへ出かける途中、八王子にある中央大学の定年坂を上り、先生の研究室を訪ねお口添えをお願い致しました。先生は快く引き受けられ早速、近角先生と連絡を取って下さいました。宮原先生が逝去された時、公開講座で収録された録音テープが式場で流されたそうです。近角先生が講演された晩は、我が家へ泊まられましたが、その折、進路に不安を抱いている高校生の対応が話題になりました。先生は「どんな道に進まれようと、それなりの苦労はありましょう、しかし、最先端まで行けば、そこは大変楽しいものです。」と語られました。
2016.05.15 ID:158585
お悔やみ申し上げます
2016年05月08日に亡くなった人