まいり
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築地まゆみ

つきじ まゆみ
1920 - 1937
女優
築地まゆみさんについて
本名は志田まつえ。新潟県南蒲原郡加茂町出身。昭和7年4月、日本俳優学校入校。同年秋に東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団)に第12期生として入団。昭和10年春に松竹蒲田へ入社。映画「母の恋文」でデビュー。映画「この子捨てざれば」で大役に抜擢された。映画「国定忠治」で市川右太衛門と共演。昭和11年の映画「有りがたうさん」で上原謙、桑野通子と共演。松竹時代は清水宏監督に重用された。昭和12年に新興キネマ大泉撮影所へ移籍。映画「乙女十九」で主役を務めた。同年12月18日から病のため床につき、28日午前4時50分急性肺炎のため東京の自宅にて夭逝。17歳。

松竹大船と新興キネマで約30作に出演しているが、現存するものは「有りがとうさん」と「男性対女性」のみ。

姉がダンスホール「フロリダ」で働いていた時、同僚の桑野通子とは親友の間柄だった。そのため築地まゆみも桑野通子と親交があった。
2021.05.23 ID:1250522
有りがとうさんが昭和11年に公開されましたが、翌年の12年に亡くなりました。
若すぎます。でも映画にそのお姿を永遠に残しましたね。
2021.01.18 ID:1184637
久しぶりにありがとうさんを観ました。東京に奉公に行く(売られていく)娘さん役の築地さんが17才で亡くなっていたとは。
次に観るときは、涙出っぱなしかも。
2020.07.04 ID:635002
私も『有りがとうさん』1936年(昭和11年)で彼女を知りました。ラストシーンで、上原謙さんに『あの人、いい人だったわね。私、帰ったらお礼の手紙を書くわ』と語りかける彼女。二人の横で、黙ってミカンを食べている母親。
ハッピエンドメイカー・清水宏監督の奥さんだった田中絹代さんに似ていると思っていましたが、下記の写真を見るとちと違うか。この映画の俳優さん達のスローな話し方大好きです。(一人桑野通子さんだけ速いがグッド)。まだ17歳だったですね。急性肺炎。ご冥福をお祈りいたします。
2019.11.20 ID:347528
こちらのページの情報量すごいですね。プロフィール欄とか写真とか、他では知り得ないことがいっぱい掲載してあって、驚きを隠せません。映画を見て、築地まゆみさんの以降の活躍が知りたくてこちらにたどり着きました。17歳で亡くなられていたんですね。今から82年前のこととはいえ、とても残念です。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
2018.11.25 ID:268695
新興キネマで酷使されなければあんな若さで命を落とすことはなかったろうに。ご本人は無念だったろうけどご家族の気持ちも察するに余りある。ご冥福をお祈りします。
2018.06.27 ID:243396
通りすがりのオヤジ
YOUTUBEで「有りがたうさん」を見ました。とても優しい演技に感銘を受けました。若くしてお亡くなりになられたと知り、調べていると、ここへたどり着きました。何かの縁でしょうか? ご冥福をお祈り致します。
2016.02.11 ID:154204
お悔やみ申し上げます
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