海軍軍人。日本海軍最後の連合艦隊司令長官。 1909年海軍兵学校,21年海軍大学校卒業。海軍大学校教官,連合艦隊参謀長などを歴任。 40年中将,41年海軍大学校校長。 44年第1機動艦隊の司令長官となり,同年6月のマリアナ沖海戦で航空母艦 (空母) 3隻と航空機 400機余を失った。同年 10月のフィリピン海戦ではおとりとして空母部隊を率い北方から接近,アメリカの空母機動部隊を北に牽制することに成功したが,空母4隻その他水上艦3隻を失った。 45年海軍総隊司令長官兼連合艦隊司令長官。
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