まいり

藤原隆文

ふじわら たかふみ
1951 - 2015
宝塚市身体障害者福祉団体連合会長
メッセージ | 掲示板
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3日前 ID:680392
岩永生子
私達は兄弟姉妹、いとこ達集まった際にはよく小さい頃の思い出話をします。隆文さんは小さい頃から頭が良くカルタ取りもいつも一番でした。いとこ達と隆坊(小さい頃の隆文さんは、親類みんなからそう呼ばれてました)かず坊は元気にしてるかなと話し、隆文さんのことがインターネットに載ってないかみて隆文さんが亡くなられた事を知り驚きました。
崎戸には隆文さんの従兄弟達も住んでいます。私は福岡に住んでおります。阪神淡路大震災の後、京都にいる私の兄と大阪の叔父が宝塚の隆文さんに会いに行ったと聞いております。
はるえ叔母さんや和坊はお元気でしょうか。また、この場所にメッセージを送らせていただきます。
2020.07.01 ID:633975
父が大切に保管していた物の中に、崎戸のパンフレットがあります。
幼少期の思い出話は沢山聞いています。
元気になったら『あらかぶの味噌汁』が飲みたいと、手帳にメモまでしていました。
私は子育て期間を終えて、ゆっくり自分の時間が持てるようになったら、
いつか崎戸に行ってあらかぶのお味噌汁を飲んでみたいと思っています。
どうやって知って頂いたのか、メッセージを拝見し、驚き感激しております。
どうか岩永様に届きますように。。。
2019.12.20 ID:354983
岩永(旧姓中山)生子
隆文さん、従姉妹の中山(旧姓)生子です。
小さいとき、長崎の崎戸でお正月は親類集まって、よくカルタ取りをして遊んでいたことを思い出します。亡くなられたこと知らずにネットで知り驚いています。
いつか機会をみて、宝塚にお参りにいけたらと思います。
どうぞ、安らかに休んでくださいね。
2018.06.10 ID:241039
片付けしながら懐かしい物が出てきました。
元気に車椅子で走り回っていた頃は時々、新聞やラジオで紹介された事があり、この記事、記者の方うまくまとめて下さってるな〜と思います。
自身の体の事についてや、幼少期をどのように育ち、就職や人間関係など決して簡単とはいかなかった様々な体験談を元に挫折や葛藤も赤裸々、豪快でユニークな切り返しがなんとも父らしいと思える10年前の切り抜きです。
記事の最後には、
小学校での講演で、不思議そうな顔で子どもに
『おっちゃん、うんこどうやってするの?』と聞かれて嬉しかった。
とあり、続きはこうです、
『遠巻きに見られるより、懐に飛び込んでほしい。』
これが、何より一番の父の素直な本音だな〜と
娘の私にはすぐに分かりました。
音楽や映画、お酒も。。。笑
大好きだったな〜
久しぶりに顔を眺めています。
2018.05.21 ID:238144
お父さん、
今でも子どもたちが『ひげじぃ』のおもしろ話で大盛り上がりするから、
嬉しくて元気が出ます。
お父さんがお世話になった方々と偶然バッタリお会い出来た時も、
懐かしんで色んな話を聞かせて頂き、嬉し涙もこぼれます。
ここにも定期的に、お父さんを思い出し訪問して下さる方がおられ、
すごく幸せと思います 。
泣いてしまう三年間を過ごしましたが、
面白かった日々の事が、今に沢山活きてます。
ありがとう〜
2015.03.12 ID:139860
入院されていると知ってメールを送りましたが、お返事がないままお見舞いにも行っていませんでした。
ひげを生やした車いすの藤原さんを知ったのは30年くらい前で、大上さんと話しておられたときです。私が仕事を辞めて間もなく、おあや座に入ると、そこに団員として藤原さんがおられ、『よろず先生奮闘記』では、患者の藤原さんが歌う「潮来笠」に合わせて踊りました。歌が好きでお上手でした。『犯人は誰だ』では、藤原さんのとんちで、私は犯人であることがばれてしまいました。
いつだったか、稽古の帰りに一緒にご自宅近くまで歩き、2歳のときに小児まひで歩けなくなり、以来車いす生活だということを知りました。
車いすでバスにも軽々と乗られ、「こうでないと飲みに行かれへんやん」と笑っておられました。その日はソリオのお店で一緒にお昼を食べました。「一人暮らしやから外食ばかりで、なじみの店や」と言ってさっさと入って行かれたのが印象的でした。
私より少し若くて、いつも明るくユーモアがあって、多くの人に話しかけ、話しかけられていた藤原隆文さん。ご冥福をお祈りします。
2015.03.12 ID:139859
平井千賀
入院されていると知ってメールを送りましたが、お返事がないままお見舞いにも行かないでごめんなさい。
ひげを生やした車いすの藤原さんを知ったのは30年くらい前で、大上さんと話しておられたときです。。
私が仕事を辞めて間もなく、おあや座に入ると、そこに団員として藤原さんがおられ、『よろず先生奮闘記』では、患者の藤原さんが歌う「潮来笠」に合わせて踊りました。歌が好きでお上手でした。『犯人は誰だ』では、藤原さんのとんちで、私は犯人であることがばれてしまいました。
いつだったか、稽古の帰りに一緒にご自宅近くまで歩き、2歳のときに小児まひで歩けなくなり、以来車いす生活だということを知りました。
車いすでバスにも軽々と乗られ、「こうでないと飲みに行かれへんやん」と笑っておられました。その日はソリオのお店で一緒にお昼を食べました。「一人暮らしやから外食ばかりで、なじみの店や」と言ってさっさと入って行かれたのが印象的でした。
私より少し若くて、いつも明るくユーモアがあって、多くの人に話しかけ、話しかけられていた藤原隆文さん。ご冥福をお祈りします。
2015.03.09 ID:139750
お悔やみ申し上げます
2015年03月05日に亡くなった人