1946年の衆院選に餓死防衛同盟から立候補し当選。初の女性代議士39人のうちの1人。翌年社会党に入党。1947年の当選後、芦田内閣の予算案に反対し社会党を除名され、労働者農民党を結成。1949年に民主党の妻子ある代議士だった園田直と恋愛が発覚し、白亜の恋とマスコミに騒がれた。妊娠が明らかになり同年結婚したが、略奪婚が批判され1952年以後4度連続落選することになる。1958年の落選後、夫の直の選挙に専念するため引退。直の死去後、1986年の衆院選で、前妻の息子園田博之と旧衆院熊本2区で「骨肉の争い」と呼ばれた激しい選挙を戦ったが落選し、国政復帰はならなかった。
Wikipediaより