熊本県。熊本日豪協会理事冨田巖(二男)の父。戦国武将冨田安芸守家治の末裔。
春喜のご先祖は安芸守長男飛騨守家朝の末裔、天正15年7月28日佐々成征と隈部親永との検地方法をめぐり国衆一揆を起こし城主隈部親永を城村城(日輪寺の西側)に逃れるための時間稼ぎのため父子が隈府にて討ち死にした。安芸守の妻は鹿央姫井村へ、飛騨守の妻は守山城の北側の山中の小楠野へ逃避、隠れ住んだ。その末裔が上永野へ墓守で平助の名前で定住。ご先祖は源→宇野→隈部→宇野→冨田姓に、血統は隈部家、宗家は宇野家の御先祖。
冨田安芸守家治・冨田飛騨守家朝父子の正式なお墓