江戸時代末に、加賀金沢藩の世襲家老職(八家)の一族、金沢藩士横山隆三の次男に生まれる。維新後に東京で実業家として大成、東洋捕鯨社長として日本の捕鯨業の基礎を築いたほか各社の社長を勤める。本家当主の
横山隆俊(横山男爵家)等が石川県で鉱業などで成功し、日本の「三大鉱山華族」とも称されるようになったのと手を携え、逝去直前まで金沢電気軌道社長をつとめるなど金沢でも活躍。
また、西郷従道、品川弥二郎の賛助を得て義俠館を設立、日露戦争時には千葉県選出の衆議院議員。同郷の評論家・
三宅雪嶺と縁戚関係にあるなど、思想的・政治的活動への関心も高かった。
妻の俊(明治33年9月25日逝去、享年31)及び後添えの實(昭和20年1月24日逝去、享年61)は、金沢藩の儒学者尾佐竹保の長女及び三女であり、明治維新史等の研究で著名な
尾佐竹猛の姉妹である。猛は、その長姉の俊とその夫・一平の支援の下に東京での修養に努めた様子がうかがえる。
(横山男爵家の財閥経営-一部に一平に言及あり)
加賀の名門“横山財閥”の企業統治能力(小川功、滋賀大学経済学部)