まいり

横山一平

よこやま いっぺい
1863 - 1932
実業家 政治家
横山一平さんについて
加賀金沢藩の世襲家老職(八家)の一族、金沢藩士横山隆三の次男に生まれる。東京で実業家として大成、東洋捕鯨社長として日本の捕鯨業の基礎を築いたほか各社の社長を勤める。西郷従道、品川弥二郎の賛助を得て義俠館を設立、日露戦争時には千葉県選出の衆議院議員。本家の横山男爵家が石川県で鉱業で地方財閥に成長したのと手を携え、金沢電気軌道社長をつとめるなど金沢でも活躍。
妻の俊(明治33年に30歳で逝去。一俊、俊平、山城、宇治原俊子、山本多嘉子の母)及び後添えの實は、金沢藩の儒学者尾佐竹保の長女及び三女であり、明治維新史等の研究で著名な尾佐竹猛の姉妹である。その縁で猛の長姉の俊とともに一平は猛の東京での修養を支えたと思われる。後年、長女の俊子が渋沢栄一の紹介で宇治原退蔵に嫁する際、尾佐竹猛が筆を執り由緒を証した記録が残る。
四谷霞岳町15番地に西洋館を構え(神宮外苑の移転前の明治公園の一部、2019年建替後の国立競技場の南口付近。尾佐竹猛の千駄ヶ谷の居宅のすぐ近くでもある)、同地で逝去。後に同郷の林銑十郎内閣の組閣本部として同宅が用いられた際の模様が新聞記事として国会図書館に所蔵されている。

(一枚目に妻子の一部の写真あり)
尾佐竹猛(石川県志賀町)

(尾佐竹猛とのかかわりについて記載あり)
近代史の中の郷土-加能地方出身の尾佐竹猛 -Meiji Repository -明治大学

(人事興信録 第四版(大正四年))
人事興信録(名古屋大学法学研究科)

(人事興信録 第八版(昭和三年))
人事興信録(名古屋大学法学研究科)

(宇治原退蔵 -大正9年10月8日逝去 享年38)
人事興信録(名古屋大学法学研究科)
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