今井清彦
いまい すがひこ
1860 - 1922
神職
- 亡くなってから102年63日過ぎました。
- 62歳で亡くなりました。
- 1860年05月10日に誕生、1922年10月04日に亡くなりました。
- 生誕160年が経過しました。没後98年が経過しました。
暮らした時代は、万延 から 大正 です。一覧
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今井清彦さんの暮らした時代を表示しています。
万延(324日)
文久(3年0日)
元治(2年36日)
慶応(4年177日)
明治(45年197日)
大正(11年69日)
- 次の法要は47年314日後、2071年10月04日の百五十回忌です 一覧
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今井清彦さんの主な法要の日を表示しています。
命日は10月04日です。
仏式の場合
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初七日 - 1922年10月10日
四十九日 - 1922年11月21日
百か日 - 1923年01月11日
一周忌 - 1923年10月04日
三回忌 - 1924年10月04日
七回忌 - 1928年10月04日
十三回忌 - 1934年10月04日
十七回忌 - 1938年10月04日
二十三回忌 - 1944年10月04日
二十五回忌 - 1946年10月04日
二十七回忌 - 1948年10月04日
三十三回忌 - 1954年10月04日
五十回忌 - 1971年10月04日
百回忌 - 2021年10月04日
百五十回忌 - 2071年10月04日
二百回忌 - 2121年10月04日
三百回忌 - 2221年10月04日
神式の場合
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十日祭 - 1922年10月13日
二十日祭 - 1922年10月23日
三十日祭 - 1922年11月02日
四十日祭 - 1922年11月12日
五十日祭 - 1922年11月22日
一年祭 - 1923年10月04日
三年祭 - 1925年10月04日
五年祭 - 1927年10月04日
十年祭 - 1932年10月04日
二十年祭 - 1942年10月04日
三十年祭 - 1952年10月04日
四十年祭 - 1962年10月04日
五十年祭 - 1972年10月04日
百年祭 - 2022年10月04日
百五十年祭 - 2072年10月04日
二百年祭 - 2122年10月04日
三百年祭 - 2222年10月04日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1922年10月06日
追悼ミサ(七日目) - 1922年10月10日
追悼ミサ(三十日目) - 1922年11月02日
死者記念のミサ(一年目) - 1923年10月04日
死者記念のミサ(十年目) - 1932年10月04日
死者記念のミサ(二十年目) - 1942年10月04日
死者記念のミサ(五十年目) - 1972年10月04日
死者記念のミサ(百年目) - 2022年10月04日
死者記念のミサ(二百年目) - 2122年10月04日
死者記念のミサ(三百年目) - 2222年10月04日
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詳細
今井清彦さんについて
〔名〕延彦 〔称〕俊二
万延元(1860)香良洲神社祠官今井政晴の長男として生まれる。
明治15(1882)神宮宮掌判任官八等を拝命。
明治17(1884)神宮教院より、日比谷神宮教院録事兼宇都宮本部副長に任ぜられる。
明治21(1888)神宮主典。
明治24(1890)気比神宮宮司を拝命。
明治25(1891)金碕宮宮司を拝命。
明治29(1896)別格官幣社藤島神社宮司を拝命明治30(1897)名を延彦から清彦に改める。
明治39(1906)皇典講究所幹事。
明治40(1907)國學院大學主事を兼務。
大正3(1914)神宮少宮司を拝命。
大正7(1918)神宮皇學館長事務取扱を命ぜられる。
大正11(1922)官幣大社稲荷神社宮司を拝命。
万延元年(安政四年説あり)五月十日、三重県伊勢國一志郡矢野村生まれ。三重県士族。初めの名は延彦という。明治維新後、神宮本教館に学び、明治十五年五月神宮宮掌を拝命、翌年十月依願本官を退き、十二月権大講義に補せられ、十七年神宮教院に転じ二等録事、宇都宮本部副長に任ぜられた。十八年権少教正に補され、大阪本部長、二十年少教正に進み、岡山本部長兼任。二十一年神宮主典に任ぜられ、二十三年式年遷宮に奉仕、二十四年三月福井・気比神社(神宮)宮司、二十五年兼ねて福井・金崎宮宮司、二十六年十二月正七位に叙し、二十八年従六位に昇叙。二十九年五月十八日、兼ねて藤島神社宮司、三十七年十月十五日願により藤島神社宮司兼務を免ぜられた。三十八年十月福井県皇典講究分所長嘱託、三十九年四月日露戦役に関する功に依り勲六等瑞宝章を授けられる。六月六級俸に進み、同年依願により気比・金崎の宮司職を免ぜられる。皇典講究所、國學院大學拡張のため監事に就任、佐佐木所長を輔け、國學院大學の基礎確立に努力した。三十九年七月皇典講究所幹事嘱託、同年十一月従五位に叙す。四十年六月國學院大學主事兼務嘱託、同月県社香良洲神社社掌に補せられる。四十一年五月依願により同社社掌を退く、大正三年八月願いにより皇典講究所幹事、國學院大學主事の嘱託を辞し、同月神宮少宮司に任ぜられ、御室戸大宮司の下にありて神宮の改革、大正天皇御大礼に伴う諸祭儀等に功績を挙げた。七年神宮皇學館長事務取扱を命ぜられ、十一年京都・稲荷神社(後の伏見稲荷大社)宮司に転任(勅任待遇)。同年十月四日没。享年六十三。従四位勲四等。
〔関連文献〕
明治維新神道百年史. -- 神道文化会, 1984
日本人物大年表(國學院雑誌第36巻第1号)
〔事典・伝記〕
校訂伊勢度会人物誌 / 川端義夫. -- 楠木博, 1975
続三重先賢伝 / 浅野松洞. -- 別所書店,1933
( 和学者総覧:1293、 国学者伝記集成. 続編 )
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