まいり

今井清彦

いまい すがひこ
1860 - 1922
神職
今井清彦さんについて

〔名〕延彦 〔称〕俊二
万延元(1860)香良洲神社祠官今井政晴の長男として生まれる。
明治15(1882)神宮宮掌判任官八等を拝命。
明治17(1884)神宮教院より、日比谷神宮教院録事兼宇都宮本部副長に任ぜられる。
明治21(1888)神宮主典。
明治24(1890)気比神宮宮司を拝命。
明治25(1891)金碕宮宮司を拝命。
明治29(1896)別格官幣社藤島神社宮司を拝命明治30(1897)名を延彦から清彦に改める。
明治39(1906)皇典講究所幹事。
明治40(1907)國學院大學主事を兼務。
大正3(1914)神宮少宮司を拝命。
大正7(1918)神宮皇學館長事務取扱を命ぜられる。
大正11(1922)官幣大社稲荷神社宮司を拝命。


万延元年(安政四年説あり)五月十日、三重県伊勢國一志郡矢野村生まれ。三重県士族。初めの名は延彦という。明治維新後、神宮本教館に学び、明治十五年五月神宮宮掌を拝命、翌年十月依願本官を退き、十二月権大講義に補せられ、十七年神宮教院に転じ二等録事、宇都宮本部副長に任ぜられた。十八年権少教正に補され、大阪本部長、二十年少教正に進み、岡山本部長兼任。二十一年神宮主典に任ぜられ、二十三年式年遷宮に奉仕、二十四年三月福井・気比神社(神宮)宮司、二十五年兼ねて福井・金崎宮宮司、二十六年十二月正七位に叙し、二十八年従六位に昇叙。二十九年五月十八日、兼ねて藤島神社宮司、三十七年十月十五日願により藤島神社宮司兼務を免ぜられた。三十八年十月福井県皇典講究分所長嘱託、三十九年四月日露戦役に関する功に依り勲六等瑞宝章を授けられる。六月六級俸に進み、同年依願により気比・金崎の宮司職を免ぜられる。皇典講究所、國學院大學拡張のため監事に就任、佐佐木所長を輔け、國學院大學の基礎確立に努力した。三十九年七月皇典講究所幹事嘱託、同年十一月従五位に叙す。四十年六月國學院大學主事兼務嘱託、同月県社香良洲神社社掌に補せられる。四十一年五月依願により同社社掌を退く、大正三年八月願いにより皇典講究所幹事、國學院大學主事の嘱託を辞し、同月神宮少宮司に任ぜられ、御室戸大宮司の下にありて神宮の改革、大正天皇御大礼に伴う諸祭儀等に功績を挙げた。七年神宮皇學館長事務取扱を命ぜられ、十一年京都・稲荷神社(後の伏見稲荷大社)宮司に転任(勅任待遇)。同年十月四日没。享年六十三。従四位勲四等。

〔関連文献〕

明治維新神道百年史. -- 神道文化会, 1984
日本人物大年表(國學院雑誌第36巻第1号)


 〔事典・伝記〕

校訂伊勢度会人物誌 / 川端義夫. -- 楠木博, 1975
続三重先賢伝 / 浅野松洞. -- 別所書店,1933

( 和学者総覧:1293、 国学者伝記集成. 続編 )
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