まいり
サイト継続の為ご支援お願いします m(_ _)m 詳細
[ 2023.04.02 ] ログイン機能APPLEを追加しました。
使い方・仕様 | ログインページ

関信之介

せき しんのすけ
1853 - 1917
政治家
2021.09.12 ID:1297801
川崎忠雄
関様
関信之介氏の末裔をほぼ20年にわたって探し続けました。この度 ご投稿いただき感謝しております。関家初代の墓地は共同墓地使用者でお守りしていますが大震災のときは墓跡が倒れましたが破損はしませんでした。有志で戻しておきました。水戸市酒門町の定善寺には、問い合わせの手紙を送りました。

信之介氏は三男で長男は孝太郎さんです。江戸時代は孝夫と名乗っていました。関家墓地は短い石の柱で囲ってあったようです。石の一部に関孝太郎之建
と刻んであります。孝太郎氏につながる墓地が定善寺あるかどうかわかりません。曽祖父の代と交流があれば わかることが多いと思います。
この欄で個人情報は書けませんが、定善寺からなんらかの情報がありましたら、メール等で連絡できると思います。川崎
2021.08.11 ID:1285895
関司の次男です。始めてメールを拝見させて戴きました。 系譜は次の通りです。
関信之介 → 関 尚 → 関 司(迄故人) → 長男、存命してます。
お墓は水戸市酒文町363 定善寺にあります。
但し、震災被害の後何の手だてもしておりません。
大変申し訳ないと思いつつ、後継者がいない、他県である
などから困っているのが現状です。
2020.10.24 ID:1122870
川崎忠雄
関玄篤と称した関文友は、医を学び、特に本草(医薬に関する学問)に精通した。郷医(村医者)として治療・投薬にあたり献身的な活動で多くの住民を救いました。この功績により郡奉行から賞されて苗字帯刀を許され、文政12年(1829年)48歳で病没しました。墓石の裏面に関先生の顕彰文が刻まれています。
 子孫の関信之介は薬谷に生まれ、水戸で代言人(弁護士)になりました。明治25年には衆議院選挙に当選しました。通算10回の当選を果たして国政に尽くしました。(墓地前の案内板)
水戸における信之介氏:明治27年直接国税15円以上納入者69人しかいませんが、氏は50円納入しています。上位3番です。水戸の住所は裡五軒町(現在は五軒町)。
関家の墓地は水戸の寺院か共有墓地にあると思われますがわかりません。
ご縁のある方がいらっしゃいましたらお知らせ下さい。薬谷の墓地は有志の方々でお守りしています。

墓石の写真があります。どこの墓地にあるか不明です。
以下の通り。
勲四等 関信之介 夫人直子 墓
2020.10.24 ID:1122767
川崎忠雄
郷土の偉人関信之介様の御子孫にお会いできることを願っております。関家は関玄篤を初代として三代にわたり郷医として地域医療に貢献されました。関玄篤-関文雄-関孝太郎(改名孝夫)・順次郎・信之介と茨城県久慈郡薬谷村に住んでいました。元治甲子の変(1864)後、水戸に移りました。信之介氏は明治8年水戸に移り法学を勉強しました。代言人、国会議員を歴任しました。薬谷には故草楽舎関先生墓、関蝶子、文友関先生墓、関婦人川野氏墓があります。登記簿には3人の共同墓地として関孝夫の名義で登記されています。御子孫が関家の墓地にお参りされることを願っております。
2019.04.14 ID:299029
自分の家系に政治家がいたとは。
2018.08.13 ID:251027
明治27年生まれの祖母が一時期養女になっていたことを最近知りました。ご冥福をお祈りします。
 ID:119020
お悔やみ申し上げます
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら
ログインするとサービスがご利用いただけます。
ログインページ