まいり
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名和道一

なわ どういち
1838 - 1873
武士 官吏
名和道一さんについて
天保9年、吉敷毛利家家臣、名井弾右衛門の次男として吉敷村に生まれる。名井守介の弟。
のち母方の家を継いで服部哲二郎。
宣徳隊を結成し禁門の変(蛤御門の変)参加で終身禁固の刑を受け、解かれたあと名をあらため、名和緩(縄ゆるむの意)。さらに改名して名和道一。

慶応2年の四境戦争(長州征伐)のさなか、7月2日防長士民の名で一書を作り捕虜に託して紀州総督の陣営に送る。この書で、松平宗秀が宍戸備後助と小田村素太郎(伊之助)を解放したことを告げる。
紀州総督は、勝手に解放してと激怒。辞表を出し広島に引き上げるという内紛が起きる。

四境戦争後は憲章館学頭として子弟教育。
明治元年春上京し、岩倉具視の邸に寄寓。国事に奔走。
明治2年8月新潟県大参事拝命。3年10月辞任。
明治4年米国留学。民法を研究するも6年12月17日ボストンにて腸チフスで客死。享年36。
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