名和道一
なわ どういち
1838 - 1873
武士 官吏
36歳で亡くなりました。 - 1838年に誕生、1873年に亡くなりました。
- 生誕182年が経過しました。没後147年が経過しました。
-
×
名和道一さんの主な法要の日を表示しています。
命日は01月01日です。
仏式の場合
-
初七日 - 1873年01月07日
四十九日 - 1873年02月18日
百か日 - 1873年04月10日
一周忌 - 1874年01月01日
三回忌 - 1875年01月01日
七回忌 - 1879年01月01日
十三回忌 - 1885年01月01日
十七回忌 - 1889年01月01日
二十三回忌 - 1895年01月01日
二十五回忌 - 1897年01月01日
二十七回忌 - 1899年01月01日
三十三回忌 - 1905年01月01日
五十回忌 - 1922年01月01日
百回忌 - 1972年01月01日
百五十回忌 - 2022年01月01日
二百回忌 - 2072年01月01日
三百回忌 - 2172年01月01日
神式の場合
-
十日祭 - 1873年01月10日
二十日祭 - 1873年01月20日
三十日祭 - 1873年01月30日
四十日祭 - 1873年02月09日
五十日祭 - 1873年02月19日
一年祭 - 1874年01月01日
三年祭 - 1876年01月01日
五年祭 - 1878年01月01日
十年祭 - 1883年01月01日
二十年祭 - 1893年01月01日
三十年祭 - 1903年01月01日
四十年祭 - 1913年01月01日
五十年祭 - 1923年01月01日
百年祭 - 1973年01月01日
百五十年祭 - 2023年01月01日
二百年祭 - 2073年01月01日
三百年祭 - 2173年01月01日
キリスト教式の場合
-
追悼ミサ(三日目) - 1873年01月03日
追悼ミサ(七日目) - 1873年01月07日
追悼ミサ(三十日目) - 1873年01月30日
死者記念のミサ(一年目) - 1874年01月01日
死者記念のミサ(十年目) - 1883年01月01日
死者記念のミサ(二十年目) - 1893年01月01日
死者記念のミサ(五十年目) - 1923年01月01日
死者記念のミサ(百年目) - 1973年01月01日
死者記念のミサ(二百年目) - 2073年01月01日
死者記念のミサ(三百年目) - 2173年01月01日
- 現在1人がこのページに訪れています。
-
1時間:1人 1日:2人 1週:6人 1カ月:16人 1年:165人
詳細
名和道一さんについて
天保9年、吉敷毛利家家臣、名井弾右衛門の次男として吉敷村に生まれる。名井守介の弟。
のち母方の家を継いで服部哲二郎。
宣徳隊を結成し禁門の変(蛤御門の変)参加で終身禁固の刑を受け、解かれたあと名をあらため、名和緩(縄ゆるむの意)。さらに改名して名和道一。
慶応2年の四境戦争(長州征伐)のさなか、7月2日防長士民の名で一書を作り捕虜に託して紀州総督の陣営に送る。この書で、松平宗秀が宍戸備後助と小田村素太郎(伊之助)を解放したことを告げる。
紀州総督は、勝手に解放してと激怒。辞表を出し広島に引き上げるという内紛が起きる。
四境戦争後は憲章館学頭として子弟教育。
明治元年春上京し、岩倉具視の邸に寄寓。国事に奔走。
明治2年8月新潟県大参事拝命。3年10月辞任。
明治4年米国留学。民法を研究するも6年12月17日ボストンにて腸チフスで客死。享年36。
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら