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吉田東篁

よしだ とうこう
1808 - 1875
儒者
2024.10.02 ID:1468961
先生は・・1808年8月1日に福井藩足軽・吉田金八の子として福井城下に生まれます。儒者の清田丹蔵に学びました。私塾「東篁塾」を開き、鈴木主税・橋本左内・由利公正らを輩出しました。ペリー来航時には水戸藩の藤田東湖ら尊皇攘夷派を訪ね意見を交わしました。安政2年(1855年)藩主松平春嶽に抜擢され、藩校明道館の助教となります。 明治8年(1875年)5月2日に死去。享年68。現在の墓所は福井市の東山墓苑にあります。今年の5月には先生の150回忌が行われました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2024.08.28 ID:1467812
今年もお盆の墓参りを済ませました。
故人の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

「沢庵を 煮てくたくたと 終戦日」
「戦死者の 墓すずしげに 終戦日」
「耐え難き 苦労を知らぬ 終戦日」
「甲子園の サイレン甲高く 終戦日」
「甲子園 30秒の静かきこと 終戦日」
2024.08.09 ID:1467200
久しぶりに福井市橘曙覧記念文学館に寄りました。
吉田東篁先生や橋本左内の和歌は知られていませんが、最近では私は和歌を詠むようになりました。

「世の中は 夢と思へば かなしけれ
  夢と知らねば 恋ぞ楽しき」
「世の中は さだめなきこそ いみじけれ
  夢とも知らず 千年過ぐとは」

吉田東篁先生いつまでも安らかにお眠り下さい。
2024.05.28 ID:1464914
今年の5月には吉田東篁先生の150回忌が福井市東山墓地公園で行われました。当初先生の墓は明治8年に福井城下の足中山頂上に建てられました。昭和25年には墓の発掘が初めて行われました。石棺の中に丁寧に葬られた東篁先生は、頭をやや前にたれて静かに正座したお姿のままでした。頭髪は長く後ろにとかれ櫛の歯正しく一糸も乱れぬ神々しいものでした。柩の中には硯石、煙管の金属部、革製煙草入れ等が納められていました。円棺上には墓誌石も出土しました。裏面にはこう記されていました…「山守東篁のはか所、あわれみてうづみたまえ」…吉田東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2024.05.17 ID:1464570
先日の5月2日は吉田東篁先生の150回忌でした。
お墓のある福井市河水町の東山墓地公園では先生の墓前祭が行われました。現在の東山墓地公園は福井市が管理する新しい公営墓地です。昔は福井市城東1丁目にお墓がありました。昭和54年に福井県立図書館(現在は福井県立こども歴史文化館)を建設するため、墓地ごとの移転されました。先生は明治8年にお亡くなりになり、座位のまま石棺に封じられて埋葬されました。昭和25年に山を崩すために墓を掘り起こしました。先生は75年間座ったそのままのお姿だったそうです。
吉田東篁先生のご冥福をお祈り申し上げます。
2023.11.20 ID:1457485
「橋本左内の漢詩ー花に寄せる想いー」前川幸雄先生著を頂きました。シリーズ第3弾の完結編です。今回は花に寄せる橋本左内の思いが漢詩の中に見出せます。桃の花は…短い自分の生涯を見ています。杏の花は…医者に戻りたい自分の気持ちを示しています。揺れ動く橋本左内の感情が漢詩の中には溢れています。橋本左内は吉田東篁先生の門下生です。福井藩の多くの人材が育ちました。当時の人々の苦難の末に歴史は作られ、現在の私たちが生きている事を忘れてはなりません。吉田東篁先生や皆様方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2023.10.18 ID:1456107
半年ぶりに福井を訪問しました。
吉田東篁先生の玄孫さんから新しい資料を頂きました。
前川幸雄先生監修の「橋本左内の漢詩ー詠懐と寓意・囚われの感情ー」です。橋本左内の漢詩を文学作品として考察しようとする試みです。橋本左内の漢詩は、謹慎から刑死までの1年間が最も多く、300首以上が作られました。いずれも失意と悩みに満ちた内容です。いまだに考察されていない漢詩も多いです。「・・後来編史者 目我為何人」やがて左内は・・自分自身の運命を悟ってしまいます。今回はその中から20首が選ばれました。縄文之会会員の方々も漢詩の考察に参加しています。次回の第3弾を以て、一連の研究は完結されるようです。吉田東篁先生の門弟は。橋本左内・由利公正・橋本綱常・杉田定一など数百人に及びます。しかし、その偉大なる功績にも関わらず、地元でも知る人はそう多くはありません。橋本左内や松平春嶽と同様に、もっと歴史上知られるべき人物だと思います。皆様の活動を、三重県から陰ながら応援しています。吉田東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2023.10.17 ID:1456077
久しぶりに福井へ行きました。
吉田東篁先生の玄孫さんで、縄文之会会員でもある、瀧澤徹氏から新しい資料を頂きました。前川幸雄先生監修の「橋本左内の漢詩ー詠懐と寓意・囚われの感情ー」です。橋本左内の漢詩を文学として考察しようとする第二弾です。橋本左内が謹慎を命じられてから、刑死に至る一年間は、特に漢詩の数多く、三百首以上に及びます。今回はその中から二十首が選ばれました。純粋な青年・橋本左内の漢詩は、いずれも失意と悩みに満ちています。そしてやがては、自らの運命を悟ります。そのことは漢詩にも現れてきます。「・・・後来編史者 目我為何人」今回は、縄文之会会員の方々も漢詩の考察に参加されています。いずれは第三弾が発表されて完結とお聞きします。皆様を陰ながら応援しております。橋本左内先生と吉田東篁先生のご冥福をお祈り申し上げます。
2023.04.14 ID:1447075
久しぶりに福井へ行きました。
福井駅前の再開発工事は進んでいました。
メインの大型ビルは北陸一番の高さになるそうです。
文学総誌「縄文」第8号の資料見せて頂きました。
滝沢徹氏の随想「吉田東篁の墓のありかと変遷」です。
昨年は前川幸雄先生の「橋本左内の漢詩」を頂きました。
副題の「見果てぬ夢」は橋本左内26歳の漢詩です。
これからも皆様の活動を陰ながら応援しています。
東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2023.02.28 ID:1444977
新型コロナは急速に収まりました。
5類へ引き下げになりそうです。良かったです。
福井から遠く離れてからの方が、故郷は気になります。
東篁先生もきっと、日本の将来を見守っているはずです。
春になったら故郷の福井へ行きたいと思います。
東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2022.07.21 ID:1407347
新型コロナが福井で急速に拡大中です。第7波です。
もう当面福井へ行く事はなさそうです。
東篁先生の玄孫さんとお会いできて良かったです。
食事していろいろとお話できて幸せでした。
歴史語り部のお仕事を三重県で応援をしています。
東篁先生の教えを守って頑張ろうと思います。
2022.02.17 ID:1318662
🌈🌈🌈フェニックスの街福井市🌈🌈🌈
🌸新型コロナの影響で福井には帰省していません。
🌸福井市は3度の試練を乗り越えました。
昭和21年7月19日の福井大空襲では市内の8割が瓦礫と化し1576名の方が亡くなりました。昭和23年6月28日の福井地震では市内が再び壊滅し3900名の命を失いました。さらに災害は続きます。1カ月後には九頭竜川が決壊し福井市内は水浸しになりました。
それでも福井県民は挫けませんでした。昭和27年の4月には福井復興博覧会を開催します。熊谷市長の案内で、高松宮殿下は足羽山から福井市内をご覧になりました。元通りになった街並みに殿下は大変驚かれたそうです。
🌸福井県民は教育熱心です、しかも優秀です。学んだことは必ず実践に役立てます。挫けたりはしません。福井で生まれ育った人間は、福井を遠く離れても皆頑張っています。東篁先生の教えは今でも受け継がれているのです。
💐東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます💐
2022.02.10 ID:1317087
福井は芸術文化の知の源泉の街。教育は日本国の宝。日本国に笑顔と元気が永らく栄ますように。洛中洛外図舟木本。五箇条の御誓文。福井藩。藩校。明道館。明新舘か源です。合掌。
2021.11.04 ID:1314456
🌺🌺🌺🌺🌺🌺🌺
東篁先生お元気ですか?
新型コロナの流行は収まりました。
衆議院総選挙も終わりました。
日本中が元気を取り戻しています。
いつまでも私たちを見守っていて下さい。
東篁先生のご冥福をお祈りしています。
2021.08.03 ID:1283005
🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻
1か月間の夏休みは福井へ帰省しています。
異常な暑さです。特に福井は暑いです。
福井市内の名所を歩いて巡る予定です。
東篁先生の生誕地を初めて訪れました。
福井駅から東へ500m先。城東橋の手前です。
中島織物工場前の一角に見つけました。
岡田啓介(元首相)の生誕地でもあります。
ですから、お二人の記念碑が並んでいます。
福井市は昔から駅西が繁華街の中心です。
駅東はこの辺まで来ると人影がまばらです。
足羽山にも先生の石碑があります。
いろんな名所旧跡や博物館があります。
福井市内を展望することもできます。
明日は足羽山周辺へ行こうと思います。
東篁先生!
いつまでも安らかにお休み下さい。
🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻
2021.06.15 ID:1260593
🍱<福井のソースカツ丼食べました>☕
●3か月ぶりに福井へ行きました。
東篁先生の玄孫さんと再びヨーロッパ軒で食べました。新型コロナのワクチン接種はどんどん進んでいます。福井に住んでいる母は2回目の接種完了しました。
●東篁先生のお墓の話、東篁先生と藩校明道館改革の話、NHK大河ドラマの話をしました。
松平春嶽公から橋本左内・横井小楠・梅田雲浜・橘曙覧・笠原白翁・日下部太郎・徳川斉昭・一橋慶喜・平岡円四郎・渋沢栄一・藤田東湖・武田耕雲斎・島津久光と・・幕末の話題はいつまでも尽きません。
●由利公正・中根雪江・村田氏寿・橋本綱常など、明治に入ってからも、福井藩の人たちは東京で大いに活躍しました。実践を重んじる東篁先生の教えは、明治政府に生かされました。外国に侵略されることなく、近代国家を誕生させたのです。
東篁先生、安らかにお眠り下さい。皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2021.03.12 ID:1215441
🌺<吉田東篁の資料>🌸
先日福井へ行きました。
東篁先生の玄孫さんとソースカツ丼食べました。
新型コロナの影響で、会うのは久しぶりでした。
東篁先生の貴重な資料を見せていただきました。
私からは橋本左内の電子版資料を渡ししました。
吉田東篁の名前は全国的には知られていません。
でも幕末明治の優秀な人材を多く育成しました。
その教えは現在の私達にも受け継がれています。
東篁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2021.03.09 ID:1213965
💐<吉田東篁と橋本左内の深い関係>💐
橋本左内は16歳まで東篁塾で学びました。そして5年後には、吉田東篁の母上の命を救いました。安政元年2月8日のことです。左内は笠原良策と共に母上の乳癌手術を行いました。当時の癌は死を待つしかありません。麻酔も手術もまだ未知の世界です。大手術は2時間かけて全身麻酔の中で行われました。手術は成功しました。発熱は見られましたが術後は順調でした。その後、吉田東篁の母上は3年間生存したのです。東篁と左内の師弟関係は深く母上の命をも救いました。
吉田東篁先生・母上様・橋本左内先生・・皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2021.01.05 ID:1174020
<吉田東篁先生は幕末・明治の偉人を育てました>
●1808年(文化5年)土居組長屋(現旭小北校舎付近)に誕生しました。身分の低い家柄でしたが、幼い頃から勉学に優れ、福井藩の学問所「正義堂」の教官となり、幕末の日本を導いた立て役者、福井藩主松平春嶽の助けとなる人物を数多く輩出しました。日頃から学問は実践にあると主張していた東篁は、黒船来航の時には江戸へ向かい、水戸藩に意向を伝えました。またロシア軍艦の大阪来航の時も大阪へ向い、これらの政治的役目をなした後、明道館教授となって、矢島立軒、橋本左内、鈴木主計、由利公正、杉田定一らを育てたのです。
●人間は今さえ良ければ、本当にそれで幸せなのでしょうか? 人間は歴史を学び反省しなくても良いのでしょうか? 東篁先生の教育理念は、現在の私たちに生きています。私は感謝しています。東篁先生! いつまでも私たちを見守っていて下さい。👩
2020.12.26 ID:1167088
⛄🌻🎄🍀🍰☕️⛄🌻🎄🍀🍰☕️
今年は無事に乗り切れました。
来年も良いことがありますように。
2020.12.25 ID:1166754
🎅⛄✨🎉🎶メリークリスマス!東篁先生!💫🎄🎂🎁🌈
2020.12.23 ID:1165375
<吉田東篁の玄孫さんのこと>
中学時代の同級生だった彼と、五十年ぶりに再会しました。吉田東篁の玄孫さんです。今年に入ってランチを共にし、二人でお喋りをするようになりました。彼は中学時代から特に優秀でした。大学院卒業後は地元の一流企業で化学者として研究を続け、定年退職後は歴史語り部として活動されています。少年時代優秀だった人は何歳になっても優秀だと、私は感じました。彼はいろんな話題に対しても知識があり、自分自身のしっかりとした見解を持っていました。しかも彼の視点は鋭く、判断は常に的確です。最近ではネットや報道の偏った情報に振り回されている人間があまりに多すぎます。彼はそんな凡人ではありません。吉田東篁の優れたDNAは、玄孫さんにしっかりと引き継がれていました。東篁先生、いつまでも安らかにお眠り下さい。
2020.07.22 ID:669348
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2020.07.13 ID:640824
★吉田東篁は幕末の福井藩を代表する立派な儒学者です。
★吉田東篁は、学問とは実践を伴うものでなくてはならないと考え、国のあり方や時事問題についても積極的に発言しました。その姿勢は第16代福井藩主・松平慶永公に認められ、福井藩校・明道館を創設し、藤田東湖・梅田雲浜・梁川星厳・横井小楠と親交を深めました。そして、次の世代の橋本左内・鈴木主税・由利公正の若手を育成したのです。にもかかわらず、吉田東篁の名前は現在ではあまり知られていません。門弟たちが建てた吉田東篁の石碑だけが今でも、足羽山の継体天皇像近くに残され、そこには「学問は実践にあらざれば益なし」と記されています。
★実践に即して学ぶという吉田東篁の信念はその後、幕末明治の人材育成の基盤となりました。橋本左内の「啓発録」と共に私たちに受け継がれ、今でも福井の教育方針として生かされているのです。どうぞ安らかにお眠り下さい。
 ID:107147
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