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片倉兼太郎

かたくら かねたろう
1884 - 1947
3代 実業家 二代目片倉兼太郎の長男
片倉兼太郎さんについて
1884年(明治17年)、二代目片倉兼太郎の長男として長野県諏訪郡川岸村(現在の岡谷市川岸)で生まれる。出生時の名は脩一。血縁関係では二代目兼太郎の実兄となる初代片倉兼太郎は伯父であるが、戸籍上では養祖父にあたる。現在の諏訪青陵高等学校の前身である旧制諏訪実科中学校を中途退学したのち、片倉組に加わる。1920年(大正9年)3月、片倉組を継ぐ形で片倉製糸紡績株式会社が発足すると、初代社長に就任した二代目兼太郎と共に初代取締役へ就任。その後、1925年に富国火災海上保険(現在のあいおい損害保険)を傘下に収めたことで社長を兼任する。1934年(昭和9年)1月に二代目兼太郎が亡くなったことから、三代目片倉兼太郎を襲名し、翌年の1935年(昭和10年)に片倉製糸紡績会長に就任する。さらに翌年の1936年(昭和11年)、1922年に片倉製糸紡績の関連会社として長野県松本市で創業した写真機材商社『美篶(みすず)商会』が株式会社美篶商会※となったことで同社の社長となり、日本初の超小型カメラ「ミゼット」と専用の「ミゼットフィルム」を販売。「豆カメラ」と呼ばれて一大ブームを巻き起こした。1941年(昭和16年)から1947年(昭和22年)まで、2010年(平成22年)3月31日に閉校した松本松南高等学校の前身である松本女子実業学校および併設中学校を運営する法人の初代理事長を務めたことでも知られている。
※第二次世界大戦後は美スズ産業株式会社となり、富士写真フイルムの特約店の一つとして存続したが、特約店制度の廃止に伴って2004年に解散している。
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