まいり
サイト継続の為ご支援お願いします m(_ _)m 詳細
[ 2023.04.02 ] ログイン機能APPLEを追加しました。
使い方・仕様 | ログインページ

原市之進

はら いちのしん
1830 - 1867
幕末の幕臣 水戸藩士
原市之進さんについて
原 市之進(はら いちのしん、天保元年1月6日(1830年1月31日) - 慶応3年8月14日(1867年9月11日))は、水戸藩士、一橋徳川家家臣。

藤田東湖の従弟に当たる。幼名は小熊。諱は忠敬、忠成。別名は任蔵。号は尚不愧斎。字は仲寧。通称は伍軒先生。



天保元年1月6日(1830年1月31日) - 水戸藩藩士・原雅言の次男として生まれる。のちに弘道館で学ぶ。

嘉永6年(1853年) - 昌平坂学問所に入学する。その後、水戸に帰国して弘道館の訓導(教師)となり、奥右筆頭取に任命された。

文久3年(1863年) - 徳川慶喜の側近となり慶喜の補佐を務める。

元治元年(1864年) - 慶喜の側用人(一橋家家老)であった平岡円四郎が暗殺されると、慶喜の側用人となる。

慶応2年(1866年) - 慶喜より幕臣として取り立てられ、後に目付に就任。原自身は聡明で慶喜に忠義を尽くしていたが、その功績を妬む者も多く、平岡同様に奸臣と見なされていた。

慶応3年8月14日(1867年9月11日) - 同僚の鈴木豊次郎・依田雄太郎によって暗殺された。

2019.05.12 ID:306039
刺客を放ったのは山岡鉄舟。

後日その軽率さを悔いていたと言うが、時すでに遅し。

幕末は有能な人材がかなり失われた。
2019.05.03 ID:303999
伍軒先生、お悔やみ申し上げます。
 ID:101812
お悔やみ申し上げます
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら
ログインするとサービスがご利用いただけます。
ログインページ