1979年のイラン革命を指導した初代最高指導者の故ホメイニ師の後継者に選出されながら、体制を批判し89年に失脚。大規模な騒乱に発展した6月の大統領選では、敗退した改革派のムサビ元首相とともに選挙の不正を訴えて再選挙を要求、改革派の精神的支柱だった。22年、中部ナジャファバード生まれ。革命前に何度も投獄されたことから、言論の自由を認めるよう強く主張し、国家主義的色彩の強い強硬派と対立。失脚後も体制批判を続け、97年には現在の最高指導者ハメネイ師を批判したことなどから、聖地コムの自宅に2003年まで軟禁された。
47NEWSより引用