広島県椹梨(くわなし)村(現三原市)出身。少年時代から広島市内で育った。原爆投下時は兵役で旧満州(現中国東北部)にいたが、市内にいた弟は被爆死した。戦後は被爆前後の広島市の風景や被爆者の苦しみなどを題材とした絵画や詩の創作を続けた。「四国五郎詩画集母子像」(広島詩人会議)や、「ヒロシマの火」(新日本出版社)、「ヒロシマのおとうさん」(汐文社)などの作品で絵を手掛けた。原爆詩人の故・峠三吉と交流が深く、63年に平和記念公園(広島市)に建立された三吉の「ちちをかえせ、ははをかえせ」の詩碑を設計した。晩年は児童向けの平和カレンダーを創作するなど、平和の発信に尽くした。
毎日新聞より引用