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大内誠喜寿

おおうち せいきじゅ
1936 - 2014
元岩手県金ケ崎高校長
2020.10.23 ID:1122021
 私は大内先生が北海道滝川市にあった道立高校の国語の先生として赴任した時、下宿していた家の長男の木村英憲と申します。
 先生のことで印象に残っているのは芥川龍之介を彷彿とさせる風貌と誠喜寿というお名前です。陰で弟と空気銃と呼んでいました。先生は毎朝食後、牛乳瓶に入った牛乳を飲んでおられました。このことが印象に残っているのは、当時、社会党が毎日、牛乳を1本飲めることを公約に掲げていたので、リッチに感じていたかもしれません。先生は当時、美女の代名詞だった吉永小百合そっくりの教え子の奥様と結婚なさいましたが、うちの玄関の前で記念撮影を撮られました。ご実家から送ってもらった干し柿をお裾分けしてくれました。それが生まれ初めて食べた干し柿でした。干し柿を食べるたびに先生のことを思いだします。私も先生と同じ教員の道を歩み、この春、定年退職しました。先生は私の一回り上の年齢ということをこのサイトで知りました。そうすると大学を出てすぐの赴任地が滝川だったのかと想像します。以上、先生のことで思い浮かぶことをとりとめなく書かせていただきました。
2016.03.12 ID:155730
木村 英憲
大内先生はかつて北海道滝川市の工業高校で国語の先生をしていました。先生は高校の近くの家に下宿先していました。私はその下宿先屋の長男です。
先生とは年賀状のやりとりを数回しとことがあります。たまたまどうなさっているか知りたくなり、グーグルで調べて、このサイトに辿りつきました。

先生のことで三つのことが思い出でとしてあります。ひとつは、誠喜寿という珍しいお名前です。二つ目は、朝ごはんのあと、朝刊を読みながらビンで牛乳を飲む横顔が芥川龍之介のような知的な雰囲気を醸し出していたことです。三つ目は、吉永小百合さんとそっくりの美人の奥様と結婚式を挙げた時、いつも干し柿を送ってくれたご両親が水沢市から滝川に来られ、先生がわたくしの実家から式場に向かったことです。
あと先生が終の住処になさった滝沢村は、私の結婚式の仲人をしてくれた盛岡出身の小説家、高橋克彦氏も住んでいるのて、不思議な縁を感じました。ちなみに私は1986年以来、愛知県長久手市に住んでおります。
ご冥福をお祈りします。
2014.07.09 ID:132787
いろいろとお世話になりました。先生が亡くなられたとは未だに信じられません。まだまだご教授願いたことがありました。無念です。安らかにお休み下さい。合掌。
2014.03.15 ID:92594
お悔やみ申し上げます
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