祖父が旧谷中村民だった。農業の傍ら、旧藤岡町議を務めていた1972年、村跡を含めた国の貯水池(現谷中湖)計画が浮上。「谷中村が第二の滅亡の危機」と、遺跡の保存を求め、針谷さんら子孫や地域住民が守る会を発足させた。「署名運動や旧建設省と交渉を重ねた末、計画の一部を変更し、現在のハート形になった」と当時を記している。20年ほど前に会長に就任した。草刈りなどの保全に加え、村の中心部にあった寺の跡地にポストを設置。「連絡ノート」を置いて、来訪者に思いやメッセージを寄せてもらう活動を始めた。18冊目になり、記入者は延べ3千人を超えた。
朝日新聞DIGITALより引用