東京・早大学院高から早稲田大に進み、強打の4番打者として活躍。1958年に中日入りし、いきなり23本塁打を放った。2年目の59年には4番を打ち、31本塁打、87打点で2冠を獲得。新人だった58年から3年連続でベストナインに選出された。62年から大洋(現DeNA)で、66年から東京(現ロッテ)でプレーし、68年限りで引退した。通算成績は1177試合で971安打、189本塁打、585打点、2割5分1厘。オールスターゲーム出場5度。柔道、合気道、空手で6段を持ち、武道の達人としても知られた。引退後は野球評論家。マスターズリーグでもプレーした。94年設立の日本プロ野球OBクラブから社団法人として改組された全国野球振興会の役員で、2011年から理事長を務めていた。
日刊スポーツより引用