シャロン氏は第3次、第4次中東戦争で軍人としての功績が評価され、国民の高い人気を受けて政界入り。右派政党リクードの党首を務め、住宅相や国防相などを歴任した。首相就任後は、和平交渉の推進に反対するイスラエル国内のユダヤ教右派勢力を説得。パレスチナ自治区「ガザ」からイスラエル軍の全面撤退を決断。その後、撤退は段階的に実現した。 一方でアラブ諸国には強硬な発言や行動を繰り返し、内外から強い批判も受けた。住宅相時代にはパレスチナ自治区への入植を強行したほか、1980年代のレバノン侵攻時は国防相として作戦を指揮。ベイルートの難民キャンプで起きたパレスチナ人大量虐殺に至る動きを黙認したとして国際的な批判を浴び、辞職に追い込まれた。
日本経済新聞より引用