ペドロ・ロッシャは60年代、ウルグアイを代表する選手として名を馳せた。同国の名門で、当時国内では無敵を誇ったペニャロールのミッドフィルダーとして活躍。同チームはウルグアイ・リーグで1959~68年の10年のうち8回優勝した上、60、61年、68年の3度、リベルタドーレス杯で南米一に輝いた。1980年、37歳で引退した後監督業に進出し、ブラジルではポルトゲーザやモジ・ミリンといったチームで監督をつとめている。その監督生活のほとんどをブラジルで過ごしているが、1997年には京都パープル・サンガの監督として招かれ、1年間Jリーグで指揮をとった。 W杯にウルグアイ最多の4度出場するほどの国民的英雄ながらもブラジル人に愛され、生涯の最期もブラジルで閉じた。(3日付フォーリャ・デ・サンパウロ紙より)(
ニッケイ新聞より引用)