広島文理科大(現広島大)卒。小学校教師として大阪府で勤務していたが、長男が生後間もなく脳性まひとなったことから、福岡市に転居して九州大医学部で精神医学を専攻。次男も脳性まひとなったことから54年、私費を投じて同市南区井尻にしいのみ学園を創設。園をつくるまでの軌跡を描いた手記「しいのみ学園」はベストセラーとなり、55年には映画化もされた。
2003年、西日本文化賞(社会文化部門)を受賞。特別支援教育や幼児教育に長年携わり、福岡教育大名誉教授や韓国・建陽(コニャン)大名誉教授なども務めた。95歳で妻子全員を亡くして以降は、「99歳までは助走、100歳からが本番」をモットーに4カ国語の勉強を開始。99歳になった2005年以降ほぼ毎年、世界一周講演旅行に出掛け、12年8月には公共交通機関だけを利用した「最高齢世界一周旅行者」としてギネス記録に認定された。(
西日本新聞より引用)