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斎藤親盛

さいとう ちかもり
1603 - 1674
武士 文人 仮名草子作者
斎藤親盛さんについて
 通称は清三郎、筆名は如儡子。近世初期、出羽の酒田に生まれた。庄内、川北奉行、斎藤筑後守広盛の長男。最上家親に仕えるが、最上家57万石が1万石に改易された時、浪人となる。その後苦しい浪人生活の中で、仮名草子『可笑記』や『砕玉抄』『堪忍記』『百八町記』などを執筆した。
斎藤親盛 - Wikipedia
2020.10.19 ID:1119622
深沢秋男
本日、『如儡子・斎藤親盛の研究』の原稿を出版社に送りました。これが私の最後の仕事です。
2020.10.14 ID:1115537
深沢秋男
『如儡子・斎藤親盛の研究』推敲、推敲の末、ようやくまとまりました。1000頁です。大学の卒論以来の総まとめです。
出版出来ればいいが、それは、未定。
2020.10.04 ID:1108620
深沢秋男
斎藤家、第13代、豪盛氏が御逝去なさいました。私は、豪盛氏と協力して、斎藤家の伝記研究をしてきました。感謝をこめて、御冥福をお祈り申し上げます。
2020.08.22 ID:699283
深沢秋男
今度の著書に入れる、写真原稿を作成しました。50年間に撮りためた膨大な写真から60点ほど、厳選して掲載します。多くの方々の御高配を頂き、感謝申上げたい。
2020.08.12 ID:690948
深沢秋男
『如儡子・斎藤親盛の研究』脱稿。1010頁。これから最終チェックを行い、出版社にお願いしようと思う。大学の卒論以来の総まとめと思うと、感慨深い。2020年8月12日
2020.08.05 ID:684768
深沢秋男
ライフワークの『如儡子・斎藤親盛の研究』の原稿、ようやく、先が見えてきました。1000頁になりそうです。50年間の締め括りです。この本を貴殿に捧げます。
2020.08.01 ID:681478
深沢秋男
今、二本松での晩年の生活を、俳諧作品から推測しています。
990頁まで進みました。もう少しで脱稿です。50年間のまとめになります。
2020.07.27 ID:676633
深沢秋男
今、斎藤親盛の俳諧に関して考察し、原稿を纏めています。晩年、福島、二本松での平穏な生活、本当に良かったと思います。
2020.07.19 ID:658923
深沢秋男
如儡子・斎藤親盛の晩年の力作『百八町記』の原稿、ようやく脱稿した。
大変、難しい内容である。これは、仮名草子ではない。
日本思想史の分野で取り扱うべきものと、私は考える。
2020.07.19 ID:658887
深沢秋男
如儡子・斎藤親盛の晩年の力作『百八町記』の原声、ようやく脱稿した。
大変、難しい内容である。これは、仮名草子ではない。
日本思想史の分野で取り扱うべきものと、私は考える。
2020.06.12 ID:626818
深沢秋男
訂正
『観覧紀』 → 『堪忍記』
2020.06.12 ID:626817
深沢秋男
私は、今、貴殿の編著書『観覧紀』を再々、検討しています。
見事な内容だと、心から敬服しています。
いずれ、そちらに行った時には、2人で語り合いたいと切望しています。
2020.04.26 ID:589314
今日、齋藤家第13代、豪盛氏から依頼された、『齋藤家系図』の原稿を書きあげました。いずれ、本年中には仕上がるでしょう。そうして、斎藤家の仏壇に供えられると思います。
2020.04.23 ID:586531
今、齋藤家の第13代、斎藤豪盛氏の依頼によって『齋藤家系図』を作成中です。私の研究成果を、齋藤家の皆様に、御恩返しする時だと思って、原稿執筆をしています。齋藤家の御子孫と協力し合って、伝記研究が出来たことを、心から感謝申し上げます。
2020.03.07 ID:388420
書名〔可笑記〕の流行

。。。。。。。。。。。。。

◆寛永6年、1629年、写本 可笑記、執筆開始
◆寛永12年、1635年、写本 可笑記、序
◆寛永13年、1636年、可笑記 11行本、跋
◆寛永19年、1642年、可笑記 11行本、刊行
◆慶安元年、1648年、可笑記 12行本、刊行 ?
◆明暦3年、1657年、可笑記 無刊記本、刊行 ?
◆万治2年、1659年、可笑記 絵入本、刊行
◆万治3年、1660年、写本 可笑記、跋

・・・・・・・・・・・・

▲寛永14年、1637年、可笑記評判、跋、浅井了意
▲万治3年、1660年、可笑記評判、刊行、浅井了意
▲寛文12年、1672年、可笑記跡追、刊行、
▲元禄元年、1688年、新可笑記、刊行、井原西鶴
▲宝永2年、1705年、一休可笑記、刊行
▲宝永3年、1706年、後前可笑記、写本
▲享保17年、1732年、前句付可笑記、写
▲元文5年、1740年、歎異抄可笑記、跋

△後可笑記
△微量可笑記
2020.02.07 ID:378359
今、『可笑記』と浅井了意の『可笑記評判』の関係を、再調査している。最後の著作に収録予定。
2020.01.15 ID:367889
菩提寺、二本松、松岡寺の墓所への階段を、13代、斎藤豪盛氏が、修復を寄進しました。
本日、完成の写真を拝見して、嬉しく、感謝しました。
2020.01.02 ID:363731
私は、今、56年前に発表した自分の論文を読み返している。何とも、勇ましい文体で、先学を批判している。これが、私の第一論文である。今度の著書に収録したいと思うが、手直しはしない。人間て、あまり、進歩はしないのかな。
■『可笑記』と儒教思想 1964年5月
である。
2019.12.24 ID:358160
『近世初期文芸』第36号が発行された。この号に、私は「斎藤家総本家所蔵〔如儡子も見た?〕陣羽織」を投稿した。この様な推測の一文を執筆できた私は、幸せである。
2019.12.01 ID:350014
今、私は、『可笑記』と、林羅山の『童観鈔』の関係を吟味している。斎藤親盛は、大啓蒙期の作者らしく、本当に、易しく書き上げている。敬服する
2019.10.15 ID:337999
深沢秋男
私は、今、研究の締めくくりとして、『如儡子・斎藤親盛の研究』をまとめている。現在。570頁まで進んだが、なにせ、老齢、果してまとまるか否か、不安である。まとまらなくても、一向にかまわない。それが、人間である。
2019年10月15日
2019.10.04 ID:335818
深沢秋男
私以外の、どなたか、お花を上げて下さり、有難うございます。私は、今、『如儡子・斎藤親盛の研究』をまとめています。完了しないかも知れませんが、やるだけ、やってみたいと思います。
2019.09.17 ID:332466
深沢秋男
今日、『近世初期文芸』第36号の初校を終えた。この号には、新潟県阿賀町赤岩地区の、斎藤家総本家御所蔵の陣羽織を紹介した。あるいは、貴殿が、最上家を辞して、越後へ行った時、総本家の、第59代、斎藤安近から見せて頂いた陣羽織ではないかと、推測しています。400年前のことになります。
2019.01.07 ID:276544
深沢秋男
『近世初期文芸』第35号(2018年12月)に「如儡子の祖父、斎藤光盛の出自」を発表しました。元和8年(1622)8月、山形藩57万石が、取り潰しになった時、貴殿は、酒田から越後の何処へ行ったのですが。現在の阿賀町、赤岩地区ではないかと、私は推測しました。二本松の資料が発見されれば、明らかになるかも知れませんね。
2018.06.03 ID:240117
深沢秋男
斎藤家初代・光盛は、越後のどこから、出羽庄内に来たのか、それを探究している。私は、卒論の頃、『可笑記』絵入本の「昔さる人」の背に家の家紋に注目した。それは、作者の祖父。斎藤光盛の出自に関係するのだろうか。やがて、明らかになるだろう。
2017.10.11 ID:202395
深沢秋男
『百八町記』の考察を脱稿しました。この難解な著作を、妻や子のために残したとは、敬服しました。しかし、奥さんや、秋盛は読みましたでしょうか。とにかく、最晩年の力作、私は疲れました。
2016.06.09 ID:159604
齋藤家、第13代、豪盛氏が、自分史『みちの奥 町工場物語』を出版しました。平成28年、2016年6月10日発行です。立派な生涯だと思います。御報告いたします。
2015.06.26 ID:143359
akio fukasawa
齋藤家 墓所 参詣

2015年6月23日、二本松、松岡寺の齋藤家のお墓にお参りしました。
齋藤家第13代豪盛氏御夫妻と、私たち夫婦の4人です。齋藤氏ご夫妻が招待して下さいました。
第二墓誌の裏面に、その後の状況を新たに追加しました。
これで、豪盛氏と私の研究は一段落しました。
以上、御報告申し上げます。
2015.01.01 ID:137550
akiofukasawa
昨日、第13代・齋藤豪盛氏から電話があり、齋藤家御先祖の代々の上に話題が及びました。御報告致します。
2014.09.23 ID:134816
akiofukasawa
父、斎藤筑後守広盛の伝記、『世臣伝』に基づいての検証、最上家改易までまとめました。171枚、昨日、印刷所へ入稿しました。これで、父上の伝記はほぼ、終りました。御報告申し上げます。
2014.08.30 ID:134146
akiofukasawa
父・斎藤筑後守広盛の長谷堂合戦の頃の活躍の様子が、検証できました。『世臣伝』の拠り所となった、斎藤家の記録は、貴殿が書いたのではありませんか。私は、そのように考えるようになりました。
2014.05.24 ID:131154
akiofukasawa
●笠谷和比古氏が『武士道 侍社会の文化と倫理』の中で、『可笑記』の意見を取り上げています。御報告いたします。
2014.04.03 ID:93018
akiofukasawa
武州川越の豪商、榎本弥左衛門の記録『榎本弥左衛門覚書』の、正保2年の条に「心のうちに詮議仕り候らえども、合点参らず候につき、落ち着き申さざる所に、『可笑記』を読み候らいて、心落ち着き申し候也。」と書かれています。御報告いたします。
2014.03.22 ID:92738
akiofukasawa
●東京都中央区立泰明小学校の『泰明だより』平成26年3月号に、校長・和田利次先生の生徒に贈ることばで「礼儀と云うは、むかいの人によっておこない、時にしたがっておこなう、万事一ぺんに心得べからず」(如儡子『可笑記』)と書いています。これは『可笑記』巻2の48段にあるものです。貴殿の書いた言葉が現在も活用されていることを報告します。
2014.02.14 ID:92136
akiofukasawa
現在、私は、ライフワークとしての『如儡子・斎藤親盛の研究』を執筆中です。貴殿は、『徒然草』と共に『甲陽軍鑑』をよく読んで利用しましたね。尊敬します。
 ID:91279
akiofukasawa
『近世初期文芸』第30号に、斎藤広盛と藤島城のことを掲載しました。貴殿の伝記資料も少しずつ充実しています。
 ID:90466
akiofukasawa
『可笑記』が、平成22年度香川県公立高校入試、平成23年度京都府公立高校入試に出題されました。
 ID:90402
深沢秋男
近世初期の激動の社会を生き抜いた人生に敬意を捧げます。大学3年の時、仮名草子『可笑記』に出会えたことを幸せだと思っています。
 ID:90401
お悔やみ申し上げます
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