重田帝子
しげた あきこ
1928 - 2008
東京女子医科大学名誉教授 放射線医学 長野県
- 亡くなってから16年276日過ぎました。
- 79歳で亡くなりました。現在の年齢は96歳です。
- 1928年11月08日に誕生、2008年03月21日に亡くなりました。
- 生誕92年が経過しました。没後12年が経過しました。
- 暮らした時代は、昭和(61年76日)、平成(20年78日) です。
- 次の法要は5年90日後、2030年03月21日の二十三回忌です 一覧
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重田帝子さんの主な法要の日を表示しています。
命日は03月21日です。
仏式の場合
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初七日 - 2008年03月27日
四十九日 - 2008年05月08日
百か日 - 2008年06月28日
一周忌 - 2009年03月21日
三回忌 - 2010年03月21日
七回忌 - 2014年03月21日
十三回忌 - 2020年03月21日
十七回忌 - 2024年03月21日
二十三回忌 - 2030年03月21日
二十五回忌 - 2032年03月21日
二十七回忌 - 2034年03月21日
三十三回忌 - 2040年03月21日
五十回忌 - 2057年03月21日
百回忌 - 2107年03月21日
百五十回忌 - 2157年03月21日
二百回忌 - 2207年03月21日
三百回忌 - 2307年03月21日
神式の場合
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十日祭 - 2008年03月30日
二十日祭 - 2008年04月09日
三十日祭 - 2008年04月19日
四十日祭 - 2008年04月29日
五十日祭 - 2008年05月09日
一年祭 - 2009年03月21日
三年祭 - 2011年03月21日
五年祭 - 2013年03月21日
十年祭 - 2018年03月21日
二十年祭 - 2028年03月21日
三十年祭 - 2038年03月21日
四十年祭 - 2048年03月21日
五十年祭 - 2058年03月21日
百年祭 - 2108年03月21日
百五十年祭 - 2158年03月21日
二百年祭 - 2208年03月21日
三百年祭 - 2308年03月21日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 2008年03月23日
追悼ミサ(七日目) - 2008年03月27日
追悼ミサ(三十日目) - 2008年04月19日
死者記念のミサ(一年目) - 2009年03月21日
死者記念のミサ(十年目) - 2018年03月21日
死者記念のミサ(二十年目) - 2028年03月21日
死者記念のミサ(五十年目) - 2058年03月21日
死者記念のミサ(百年目) - 2108年03月21日
死者記念のミサ(二百年目) - 2208年03月21日
死者記念のミサ(三百年目) - 2308年03月21日
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1時間:0人 1日:0人 1週:18人 1カ月:44人 1年:725人
詳細
重田帝子さんについて
専門は放射線診断学。特に心血管の画像診断において業績を残すとともに、多くの医師育成に尽力した。
1928年(昭和3年)11月 8日に長野県北佐久郡布施村に父 重田義雄と母 まさよ の三女として生まれる。東京女子医科専門学校に進学し、1951年(昭和26年)に卒業。1962年(昭和37年)に東京女子医科大学病院の講師となり、1971年(昭和46年)に放射線科の教授に就任。1974年(昭和49年)に発足した心臓血管放射線研究会に参加し、放射線科医のための心疾患の放射線診療に関する学問及び技術の研究と知識交流を行い、医学分野における社会貢献に努めた。1983年(昭和58年)4月から東京女子医科大学病院の放射線科の主任教授となり、その後、1988年(昭和63年) 5月から1994年(平成6年) まで同大学病院副院長の任を務め上げた。また、1993年(平成5年)には、女子医大医師会の初代会長に就任すると共に、名誉教授に就任した。
1994年(平成6年)には、城西病院健診センター所長に就任し、4年間の任務を全うした。
2008年(平成20年) 3月21日 午前 4時31分に東京女子医科大学病院にて永眠。
享年79歳。瑞宝小綬章を受章
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