平成2年に商船三井を退職いたしました北原 勲と申します。一等機関士の時に矢嶋常務のお話をお伺いした事がござすます。1972年の最長の汽船他のストライキによる影響で政府企業が一致して便宜置籍船化に進む機運が出来、全海運会社は組合員の囲い込みを行い海員組合を骨抜きにしてしまった。当時会社は乗組員の合理化で18名船体制等を模索したが、最終的に便宜置籍船に移行した。私も妻を亡くした事で退社を指示された。私が社内で便宜置籍船の反対意見を聞いたのは海務部の中でもTOPの故元矢嶋常務唯一人であった。当時社内では便宜置籍船制度にナッショナルセキュリティを立てに唯一人奮闘されたが早々に宇徳に追い出された。百年以上もかけて築き上げた海技技術を0にしてしまった。海上で苦労した我々が挙って他の道を模索する能力があったらと後悔の念がこみ上げる。思えばこの制度推進でイランイラク戦争時 UNITED ARAB Co'のアルミルカブ号を蔚山の現代造船所で受取、次船でアルマナック号でミサイル攻撃で亡くなった藤村憲一氏を思い出す。最近のMOL COMFORT沈没やWAKASHIOの座礁も関連海難事故であろう。OB機関長