まいり

大平政司

おおひら まさし
1935 - 2012
元石原産業専務
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5日前 ID:1148167
<大平さんの思い出>
 大平さんが本社で専務をされていた頃は、時々お会いする機会がありました。当時は大変お世話になりました。
 子会社で社長をされていた頃のご様子や、退職されてからの囲碁の話など、優しくて人間味あふれた大平さんのお人柄が偲ばれます。天国でいつまでも安らかにお休み下さい。
8日前 ID:1143360
<大平さんの思い出>
当時は私も堀木囲碁クラブに通っており大平さんとは何度か対局した記憶があります。
日本棋院からは大澤初段が指導対局に見えてました。クラブのオーナーは伊藤さん、事務局は清水さんでした。メンバーでは、酸素ボンベを使用している玉寄さん。中学生の息子さんを連れた佐藤さん親子。女性では小林さんと加藤さんを覚えています。大平さんと親しくしていたのは、梅田さん、原さん、沖さん、松下さんでした。大平さんは、さすがに元社長さんだけあって、気品にあふれた威厳のあるお方でした。囲碁の方も定石を重んじる重厚な棋風でした。
2012年2月23日に大平さんが亡くなり、すぐ続いて清水さんと玉寄さんも亡くなりました。清水さんは囲碁の普及に功績の多かった功労者でした。玉寄さんは大型台風の影響で酸素ボンベが届かなかったと聞きました。高齢化に伴い囲碁メンバーはどんどん減少し、やがて堀木囲碁クラブは廃業します。新型コロナの影響で囲碁大会は休止が続き寂しいばかりです。今回はこのウエブサイトを見つけて嬉しくなりました。大平さんをはじめ、皆様方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
10日前 ID:1142001
<大平氏が入院された前後>
●2011年の夏、大平氏は四日市四郷地区センターの囲碁大会に参加していました。その頃は階段を上るのも苦しそうで、囲碁の方も力が出ないご様子でした。大会を終えて雑談していると。「最近どうも胸が痛むんだ・・」と言われます。しかも、健康診断はやったことがないとのこと。私たちは驚きました。市民病院で検査を受けるように強く勧めました。
●翌月の囲碁大会でお会いすると、検査の結果は肺炎で、しばらく入院することになりそうだと、意外とさっぱりとしたご様子です。でも私は心配していました。大平氏は喫煙本数少なからず、だったからなのです。その囲碁大会が最後となり、大平氏は二度とお顔を見せることはありませんでした。一度だけ、大平氏の携帯にお電話しました。私が心配そうにしていると、かすれた苦しそうなお声で、「君こそ体には十分注意するんだぞ!」と逆に励まされました。
●入院後は、2012年の正月だけ一時帰宅され、ホスピスに移られたと伝え聞きました。私たちは見舞いを遠慮しました。2月に入って新社長の渡邊氏だけが見舞いに行かれ、大平氏の最後のご様子を・・私は知ることができました。
2020.11.18 ID:1140615
<碁会所での人間模様>
●碁会所の囲碁大会では、いろんな相手と対局することになります。一人だけ気難しい年配者がいました。さすがの大平氏もあの人だけは苦手でした。段位は持っていないのですが、はめ手を常用し、相手が弱いと見るといやらしく攻めてくるのです。私はコテンパンでした。大平氏は正統派ですが、それでも苦しめられて、惜しいところで敗れてしまいます。その人は酸素ボンベを積んだキャリーカーを伴って、鼻には酸素チューブが繋がれています。息は苦しそうでも、見かけに騙されてはなりません。他にもボケ老人かと思える相手もいますが、いざ対局となると、一手一手が鋭く、いつの間にか眼光は鋭くなって、だまされた!・・と知らされます。大平氏は、先の酸素ボンベの相手と揉めています。相手の形勢が悪くなり、待ったをして大平氏の碁石を勝手に動かしたのです。大平氏はめずらしく怒っています。事務局の清水さんが調停に入りました。年末になって清水さんは亡くなり、例の老人は酸素ボンベの宅配が遅れて急死されたそうです。翌年には大平氏が亡くなります。思い出だけを残して、あの碁会所はもうありません。皆様のご冥福をお祈りします。
2020.11.17 ID:1140189
<大平社長から頂いた見舞金>
●2011年6月、私はガンの手術で2週間入院しました。7月に入って大平氏とは久しぶりに対局しました。碁会所で見舞袋を出しながら、大平氏はしきりに詫びています。「少ない金額で誠に申し訳ないが・・」会社の人たちから頂いた見舞金はいずれも5千円でした。大平前社長にとっては異常に少ない金額(5千円)が入っているのだろうと、私は思っていました。家に帰って開けてみると中身は万札でした。大平氏にとっての相場とは2~3万円だったのです。
●大平氏は会社の話などは決してしませんが、名古屋から遊びに来る娘さんやお孫さんの話はよくされました。高校生のお孫さんを寿司屋に連れていったら3万円かかったと聞いたので、回転寿司なら一人3千円で十分ですよと、お教えしました。大平氏は一皿100円の回転寿司には行ったことがなく、考えもしなかった様子でした。
●私は酒が飲めません。囲碁大会を好成績で終えた大平氏は、同じチームの原氏を連れて、二人だけで飲みに出かけました。原氏の話では、大平氏なじみの超一流高級クラブだったそうです。そうと知っていれば! あれだけは今でも悔やまれます。
2020.11.17 ID:1139955
<社長室での囲碁対局の様子>
★社長専用車で外出しない昼休みには、社長室で囲碁対局していました。大平社長は弁当を早めに終わらせて、12時15分位から対局開始です。でも時々、緊急の決済文書を持参して役員が社長印をもらいに入室します。大平社長に対しては、対局中に誠に申し訳ありません・・といった態度なのですが、私に対しては異なります。君が囲碁のお相手などするから、社長の機嫌を損ねて迷惑千万・・といった顔つきなのです。そもそも、ややっこしい決済文書を、こんな囲碁の真最中に持ってくる方が、よっぽど怪しいのです。その点、総務部長は十分に心得ていて、そっと囲碁を観戦するようにしながら、社長の形勢が十分に良くなった頃合いを見計らって、決済印をもらっていつの間にか消えていました。
★お盆休みの期間、大平社長は外出の予定がなく、囲碁対局を連日予定していました。私は連休の予定は変えずに帰省していました。三日間はお相手が見つからず、寂しい思いをされたご様子でした。私たちの対戦結果と内容は一覧表にまとめて、大平社長が退職された日にお渡ししました。その翌月からは、毎週碁会所に通うようになったのです。
2020.11.17 ID:1139915
<部長会議で突然ー囲碁の話?>
●会社でいつの間にか、隣に誰かが立っています。ヘルメットをかぶった知らないおじさんです。「君は囲碁やるんだってな。今度から昼休みに対局しようか」偉そうな口ぶりなので、名札を見ると・・大平と書かれています。我が社の社長だと、私はようやく気づきました。
●翌週から昼食後、社長室での対戦が始まりました。結果はボロ負けでした。次の週「今度入社した○○君、囲碁初段にしては弱いなあ~」部長会の席上、大平社長は突然発言します。言われた加藤部長は私の上司です。かなり慌てました。部長会議で囲碁の話が出るとは思ってもいません。「彼はしばらくやっていないので、まだ実力が出ないのでしょう」部長はしきりにフォローしてくれたそうです。
●3ヶ月前に入社した私は、履歴書には数多くの資格に交えて、将棋三段・囲碁初段と記入していました。でも本当は将棋だけが本物で、囲碁の実力は3級程度でした。囲碁は自称初段の人が最も多く、実際の実力は、上は3段から下は3級まで幅が広いのです。新しく入社した私の履歴書を大平社長は見ていたに違いありません。囲碁初段のところだけを・・じっと見ていたのです。
2020.11.17 ID:1139818
<囲碁対局のお相手は超大物でした>
●2010年の秋、四日市文化会館では日本棋院三重県支部主催の市民囲碁大会が開催され、私たちは参加していました。昼休憩の合間に大平氏はどなたかと親しそうに番外対局しています。お相手はどう見ても・・ただならぬお方です。誰も近づきません。いつもですと、私はすぐ横で観戦するのですが、今回はさすがに遠慮しました。
●お相手は・・地元で最も偉大な名士・小菅弘正会長でした。日本トランスシティ会長、商工会議所会頭、三重県囲碁連合会会長などを務められ、名門の小菅家による数多くの貢献は、四日市港の歴史そのものなのです。祖父の小菅剣之介氏は、将棋初代名誉名人・実業家・衆議院議員として歴史上に残る人物であることを、私は知っていました。
●小菅会長の囲碁はレベルが高すぎます。私たちの評価対象外です。お二人の対局は時間切れとなり、途中で終局しました。大平氏の顔の広さに、私は感嘆していました。そもそも、大平社長の囲碁のお相手をすることですら、社内では恐れ多かったのです。何も感じない私が、無頓着だったのかも知れません。あれから10年経過しました。大平社長のご冥福をお祈りします。
2020.11.15 ID:1138833
<堀木囲碁クラブの思い出>
●大平氏は2009年3月に会社社長を退き、大平氏と私は4月から堀木囲碁クラブへ通うようになりました。毎週日曜日には級位者大会が開催され、段位者も交えた囲碁大会もありました。1年後には、私たちは級位者大会で上位を狙える実力がつき、他の碁会所の大会や、四日市や鈴鹿市の文化会館で開催されるの囲碁大会にも参加するようになりました。
●2012年2月に大平氏は急死されます。当時の囲碁相手の多くも高齢者でもあったため、現在では亡くなった人が大半です。堀木囲碁クラブも数年後に閉店しました。現在では老人向けの運動クラブに変わっています。
●新型コロナの影響で囲碁大会や碁会所は自粛され、最近ではネット碁やAI囲碁が盛んです。このお参りサイトでの大平氏への参拝者数は千人を超えており、芸能人が大多数を占める中で、企業人としては驚くべき人数です。大平氏は人間への思いやりがありました。筋の通らないことは言いません。怒鳴ったりはしません。囲碁と同様に大局感が優れていました。人間味が豊かで常に周囲から慕われるお人でした。私はいつも尊敬していました。いつまでも安らかにお休み下さい。
2020.09.28 ID:1103964
大平氏との最初の囲碁対局は、2008年7月4日でした。
その日、自称初段の私は大石を取られてぼろ負けでした。
それ以降、3連敗したら置き石を1個増やす方式で対戦を繰り返し、置き石3個でようやく互角になりました。私は実力5段のAI囲碁ソフトを購入して、パソコン相手に上達を目指し、1年後にどうにか大平氏のお相手が出来るようになりました。二人で碁会所に通い、囲碁大会にも出場しました。現在は新型コロナの影響で、県内の囲碁大会は中止されています。次回は天国での囲碁大会で対局したいですね。それまでは天上界で元気にお過ごしになって下さい。
2020.09.21 ID:1096359
先日北大谷霊園を散歩しました。お彼岸が近づき暑さも少しずつ和らいできましたね。ゆっくりと安らかにお休み下さい。
2020.08.12 ID:690904
もうすぐお盆ですね。大平氏のことは色々と思い出があります。いつまでも安らかにお眠り下さい。
2020.08.07 ID:686209
お盆が近づいてきましたね。お待ちしています。
2020.07.24 ID:673105
花や果物やお菓子は掲示板にもお供えしました。
ゆっくりと安らかにお眠り下さい。
2020.07.21 ID:667516
心からご冥福をお祈りします。
2020.07.19 ID:653483
囲碁仲間
●毎日ここでお参りさせて頂いております。ようやく大平社長の夢を見ました。すべて夢です・・
●――大平社長の死後、社長車の運転手だったH氏が急死しました。原因不明でした。次は君が呼ばれる番だと会社では冷やかされました。ちょうど一周忌目の夜、遂に大平社長が枕元に現れました。
「いつも囲碁の相手をしてくれて楽しかったよ。今日はお礼に良いニュースを持ってきたぞ!」
「本当に良いニュースなんでしょうねえ?」
「最近は天国でもペア碁が流行っておってな、今度はわしも選抜メンバーに選ばれたんだ。ついては君をわしの相棒に選んでおいたよ!」
「ほ~ら、やっぱりね! いやですよ、そんな遠くまで!」
「いやそれなら心配するな! H君がちゃんと社長車で迎えに行くから」――
●もうしばらくお待ち下さい。それまでは安らかにお休み下さい。
2020.07.01 ID:634014
天国で安らかにお眠り下さい。
2020.06.24 ID:631354
長い間ご苦労様でした、ご冥福をお祈り申し上げます。
2020.06.23 ID:631133
謹んでお悔やみ申し上げます。
2020.06.21 ID:630182
お世話になりました。どうぞ安らかにお休みください。
2020.06.21 ID:630089
心よりお悔やみ申し上げます。
2020.06.20 ID:629873
公私共にいろいろとお世話になりました。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
2020.06.20 ID:629857
ご存命中はご配慮を賜り大変お世話になりました、謹んでお悔やみ申し上げます。
2020.06.19 ID:629228
囲碁相手の梅田
<大平氏との囲碁の思い出ー続き>
◎大平氏の碁風は、ポカミスなどは決してせず、堅実な打ち方でした。もう一人の原氏(近くのコンビナートの人)と3人でグループとなって、2010年に団体戦で鈴鹿の囲碁大会に出場した時が一番力が入りました。3人のうち2人が勝てばよいのですが、大抵は大平氏が一勝してくれました。私は酒が飲めないので、帰りは大平氏と原氏が飲みに行ったりしてました。その頃から私たちは囲碁も上達して、囲碁大会(Cクラス)ではようやく上位に入賞できるようになってきました。
◎2012年の大平氏の通夜と葬儀には、私と原氏も参列しました。これまでにない多くの人が参列され、盛大なお葬式でした。葬祭場は・・いつも通っていた堀木の碁会所のすぐ近くでした。当日、北大谷霊園までの道路は渋滞して進みませんでした。
◎2013年、原氏は東京に戻られて、2014年に私は会社を退職しました。囲碁をやる人は高齢者が多く、亡くなっていく人も珍しくはありません。堀木の碁会所も今はなく、大平氏の囲碁のことを知る人は、もう誰もいません。せめてもの思い出として、今回は掲示させていただきました。
2020.06.18 ID:629191
囲碁相手の梅田
<大平氏との囲碁の思い出>
◎会社の昼休みには、私と囲碁を楽しみ、2009年に退職後は一緒に碁会所へ通ったり、四日市や鈴鹿の囲碁大会に出場していました。
◎2011年の夏、胸が痛いと言って病院へ検査に行かれて、そのまま入院されました。年末に電話で話した時は、声がかすれて苦しそうで、「あんたも体には十分気をつけるんだぞ!」と、逆に私のことを心配してくれました。当時の私はガンの手術をして、抗癌剤治療を終えたばかりだったのです。
◎2012年に入り、大平氏はホスピスに入院されていると聞きました。私は見舞いに行くべきかどうか迷っていました。でも2月23日、大平氏は亡くなってしまいました。あまりにも早すぎました。肺癌だったと知りました。棺の中の最後のお顔は、抗癌剤のシミが目立ち、痩せこけた様子でした。現役の頃には、色々と苦労も重なり、ようやく解放されて、囲碁を楽しもうという矢先でした。ご冥福をお祈りします。
◎天国では思う存分に囲碁のお相手をして差し上げます。もうしばらく待っていて下さい。
 ID:75846
お悔やみ申し上げます
2012年02月23日に亡くなった人