アイネスフウジン
あいねすふうじん
1987 - 2004
競走馬 種牡馬 黒鹿毛
- 亡くなってから20年244日過ぎました。
- 16歳で亡くなりました。現在の年齢は37歳です。
- 1987年04月10日に誕生、2004年04月05日に亡くなりました。
- 生誕33年が経過しました。没後16年が経過しました。
- 暮らした時代は、昭和(2年274日)、平成(16年92日) です。
- 次の法要は1年121日後、2026年04月05日の二十三回忌です 一覧
-
×
アイネスフウジンさんの主な法要の日を表示しています。
命日は04月05日です。
仏式の場合
-
初七日 - 2004年04月11日
四十九日 - 2004年05月23日
百か日 - 2004年07月13日
一周忌 - 2005年04月05日
三回忌 - 2006年04月05日
七回忌 - 2010年04月05日
十三回忌 - 2016年04月05日
十七回忌 - 2020年04月05日
二十三回忌 - 2026年04月05日
二十五回忌 - 2028年04月05日
二十七回忌 - 2030年04月05日
三十三回忌 - 2036年04月05日
五十回忌 - 2053年04月05日
百回忌 - 2103年04月05日
百五十回忌 - 2153年04月05日
二百回忌 - 2203年04月05日
三百回忌 - 2303年04月05日
神式の場合
-
十日祭 - 2004年04月14日
二十日祭 - 2004年04月24日
三十日祭 - 2004年05月04日
四十日祭 - 2004年05月14日
五十日祭 - 2004年05月24日
一年祭 - 2005年04月05日
三年祭 - 2007年04月05日
五年祭 - 2009年04月05日
十年祭 - 2014年04月05日
二十年祭 - 2024年04月05日
三十年祭 - 2034年04月05日
四十年祭 - 2044年04月05日
五十年祭 - 2054年04月05日
百年祭 - 2104年04月05日
百五十年祭 - 2154年04月05日
二百年祭 - 2204年04月05日
三百年祭 - 2304年04月05日
キリスト教式の場合
-
追悼ミサ(三日目) - 2004年04月07日
追悼ミサ(七日目) - 2004年04月11日
追悼ミサ(三十日目) - 2004年05月04日
死者記念のミサ(一年目) - 2005年04月05日
死者記念のミサ(十年目) - 2014年04月05日
死者記念のミサ(二十年目) - 2024年04月05日
死者記念のミサ(五十年目) - 2054年04月05日
死者記念のミサ(百年目) - 2104年04月05日
死者記念のミサ(二百年目) - 2204年04月05日
死者記念のミサ(三百年目) - 2304年04月05日
- 現在1人がこのページに訪れています。
-
1時間:0人 1日:1人 1週:1人 1カ月:8人 1年:165人
詳細
アイネスフウジンさんについて
父:シーホーク
母:テスコパール
母父:テスコボーイ
通算成績:8戦4勝
獲得賞金:2億4440万9200円
JRA賞最優秀3歳牡馬(1989年)
JRA賞最優秀4歳牡馬(1990年)
重賞勝ち鞍:
1989年 朝日杯3歳ステークス(GI)
1990年 東京優駿(GI)
1990年 共同通信杯4歳ステークス(GIII)
東京優駿(日本ダービー)当日の東京競馬場には、当時の府中市の総人口に匹敵する19万6517人の観衆が詰め掛けていた。主要駅で入場制限の放送がかかったほどのこの入場者数は世界レコードであり、現在に至るまでこの記録は更新されていない。
観衆はゆっくり戻ってくるアイネスフウジンと中野に対し賞賛の意味を込めていわゆる「ナカノ」コールの大合唱を行ったが、その響きは普段はスタンドにさえぎられてウィナーズサークル近辺の物音が聞こえてこない正門付近でも響くほどのものであったという。
これ以降、しばしばGI競走で優勝した馬や騎手、特に「オグリ」や「ユタカ」など中野と同じような3文字の名前を有する馬や騎手に対して同様のコールが発生するようになった。ファンファーレに合わせた手拍子やGI競走開催日における徹夜組の発生も、この日本ダービーが事実上の起源とみられている。
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら