まいり

吉村雄輝

よしむら ゆうき
1923 - 1998
上方舞 吉村流 家元 人間国宝
お線香をあげる   お花をあげる
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9日前 ID:310887
上田武之
大阪 南御堂で行われた雄輝さんの葬儀に参列しましたが、その折に慎之介君と家元の後継者問題で吉村流が揺れている事について話しをしました。このことで彼は大変困惑している様子で、彼は吉村雄秀の名を返上し吉村流からいち早く離れて行きました。兄弟弟子を経て、内弟子に入られた吉村雄輝夫氏が五世家元を継ぎましたが、すでに腹水が溜まるほどの末期癌になっており、程なく急逝されました。その後、六世家元を吉村雄輝夫氏の弟弟子である吉村輝章氏が継がれ現在に至っております。
2019.06.01 ID:309741
上田武之
雄輝さんからは「友人の坂田藤十郎さんを紹介してあげるネ」と何度か云われておりましたが、雄輝さんが早く逝去されたので、これは実現しませんでした。坂田藤十郎さん宅へ訪問していたとしたら奥様の扇 千景さんにも会えた事でしょうし、ひょっとしたら妹さんの中村玉緒さんにも会えたかも。
2019.04.06 ID:296694
上田武之
私の姉が雄輝さんの弟子であった関係で親しくお付き合いをさせていただくようになりました。国立劇場の楽屋を訪れた時には何時も傍に呼び寄せ、楽屋での師匠の振舞いを観るように勧められました。
 雄輝さんがお弟子さんの輝章氏(後に、六世吉村流家元となられる)と北海道を訪れた時は道東を案内させて頂きました。思い出に残るのは羅臼温泉に泊まりましたが夏なのに寒く、丹前が無いので浴衣を二枚重ねて着られた事や、知床五湖を巡った時は歩き疲れて音を上げられ「もう戻る」とおっしゃったとき、「戻るより前に進んだ方が近いですよ」と五湖を一周して貰ったこと、また、小清水原生花園では、「疲れたから降りない」と弱音を吐かれたので車をUターンさせ入り口に横付けしたところ、花の香に引き寄せられるように中に入って行かれました。赤坂六本木の割烹では息子さんの池畑慎之介(ピーター)君とも一緒に料理と、お酒を堪能したこともあります。
また後日、私の結婚披露宴に雄輝師の名代としてお祝いに来釧された内弟子の吉村勝雄輝さんによる地唄舞「住吉」が披露されました。
 釧路で吉村流の地唄舞が舞われたのは初めての事なので大変感激いたしました。
2013.07.01 ID:62112
お悔やみ申し上げます
1998年01月29日に亡くなった人