まいり
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奈須敬二

なす けいじ
1931 - 1996
海洋学 海洋学者
2020.12.02 ID:1153022
捕鯨盛衰記の読者です
2018.10.25 ID:263081
菊池総一郎
聖名讚美!
記憶が曖昧だが、菊池治生家と奈須敬二御一家と海水浴に行き、旅館に一、二泊した事が有りました。大人は浴衣にビールで後にウイスキー。子供はオレンジジュースで乾杯。日頃は旅館部屋の備え付け冷蔵庫を空ける事は禁止だが、今日は特別!不思議な?違和感を伴い乍ら、我ら子供連中が楽しく過ごす中、親父連中の悪酔い喧嘩腰の悪口に母親らは苦慮し呆れて居ましたね┅
それで予定を早く切り上げて解散したような┅?
その奥様が後に脳卒中で早くに亡くなられた時、我が家は近親者を失なったと同様の衝撃で、寂蓼感に覆われた中、親父が頻りに「奈須が心配だ」繰り返し案じて居たのが印象深く残っています

後妻の方を紹介したのが我が母親との事。九州から出て来た仲間の黒木氏、齋藤氏、新国氏、他の方々同様に最後まで篤き交流を続けた身内の皆様は立場が違えば御互いに同じ事をするでしょう

我ら子供連中の纏め役に任じられて居たのが奈須憲一郎君。
年長者らしく静かに皆を纏めて居ましたね。
二度、清水の浜と公園で、手四つに組んでの喧嘩に為るが、三学年上の手加減が若干有ったと記憶す。後に小学校教諭に成ったとの事。宜なるかな┅感謝です
2018.10.16 ID:261652
菊池総一郎
尾末湾の浜辺には年に数回、鯨が打ち上げられ、漁協が「競り」を始めると奈須敬二博士の御尊祖父様が必ず?と言って良い位に競り落とし「鯨の恵みは独り占めするべからず」と近所の人々に分け配り、来訪する客人と喜び分かち合ったそうです。奈須さんはその薫陶を受け継ぎ「人々に笑顔を涌き溢れさせる人柄」と
成られたのかな?と推察する次第です。
奈須敬二博士が御存命ならば東京海洋大学さかなクンは、きっと一番可愛がられた事でしょう!
2018.10.14 ID:261351
菊池総一郎
聖名讚美!
奈須敬二博士と法律家で地方政治家の父、菊池治生は家が近所の幼馴染みで竹馬の友。小中高と同じ学校の同級生。野球部に所属しバッテリーを組む刎頸の畏友で、その交流は終生不変で有りました。奈須さんは長期の海洋調査から帰国すれば必ず、我が父と酒を酌み交わし後、我が家で一、二泊する事が定番と成って居り、翌朝は浴衣か駱駝のステテコ姿、禿げた頭に黒縁眼鏡のニコニコ顔。典型的な「日本の親父」然とした佇まい。それが年に数回有るので奈須さんは、私が幼き頃の日常風景の一つでしたねぇ。奈須さんの御土産は2米近い鯨の鬚や、20センチ位の鯨の歯、他、色々と一般の人が手にする事の無い、貴重な物を父は頂きました。一番の楽しい思い出は清水市の御自宅に菊池家6人、山田弁護士家4人、奈須家4人、合計14人が一同に会し2Kの部屋で雑魚寝した事です。親父3人はホテルで楽しんでいたようですが、残り11人は家具で更に狭い部屋を台所を利用し皆で工夫して寝ました。私は当然台所です、二日間!母親らはカレーライスやドーナツやシュークリームを手作りしてくれたなぁ。子供だけで清水の海や公園で遊んだ47年前。奈須憲一郎君は息災ですか?
 ID:60773
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