まいり

玉川良一

たまがわ りょういち
1924 - 1992
俳優 声優 コメディアン 浪曲師 作詞家 脚本家 新井克昌の叔父
メッセージ | 掲示板
あと500文字入力できます
(以下未入力でも投稿できます)
お名前
削除キー
テストページ で投稿のテストが出来ます。
投稿の利用方法は 使い方 をご覧ください
投稿のルール等は 投稿ルール をご覧ください
メッセージ表示しています 掲示板に変更
ご投稿の際には、投稿ルールをご確認ください
2019.07.29 ID:322464
子供のころ、とぼけた芸風で好きでした。ドルーピー(犬のアニメ)の声も、懐かしいです。

いつの間にかあまりテレビに出なくなり、ワイドショーで話題になったと思ったら、自宅の一軒家の下に巨大な空洞が発見されたというものでした。

もっともっと拝見したかったです。
安らかにお休みください。合掌。

合唱
2019.01.02 ID:275402
かくし芸での堺正章と加藤茶とのケンカコントが印象に残ってます。当時子供だったので「これマジ?」とハラハラしてたの記憶してます。荒井注さんも出てきてマジっぽく玉川さんにキレてて、オチが分かってみんな芝居も上手いなぁと感心した。こんな玉川さんみたいな個性的なキャラの方は長生きして芸能界をもっと引っ張って欲しかったです。
2018.09.12 ID:256102
ありがとうございました。とても素晴らしい芸風でした。
今拝見しましても、素晴らしい!忘れません。
2018.09.12 ID:256004
私が幼少の頃、昌子伯母が御世話になりました。玉川様と同じ舞台に出させて頂き、プロのお仕事に唖然としておりました。昭和39年頃、お祭りの半天を着せられ、向かい合ったおばちゃんに、台詞がおばちゃんでした、千秋楽の日、楽屋で始めて大きいバナナの房を頂戴し、高級な果物を大事に持ち帰った事が忘れられません。劇の後北島三郎さんが、ワイシャツにフリルが付いたスーツで(はーるばる来たぜ函館へー)と、星形のシャンシャンという物を持ちながら右側の袖から出て来て、歌が終わると左側の袖にはけるのですが、早着替えをするのを見て、私が大人になったら、この仕事は出来ないわ!と子供ながらにショックを受けました。その後、母親のところに、劇団ひまわりの方がスカウトに来て下さったのですがシャイでイジメられっ子だった事もありお断りさせて頂きました。今、子育ても終えて、又、舞台に出てみたくなり、事務所に登録して、台詞の練習を始めたところです。持病があり、介護もしてますが、自分成に頑張りたいと思い、観に来られた方々を、笑いと涙で感動をお伝えできる役者、歌手にと夢を持たせて頂きました。
貴重な体験を有り難う御座いました。
2013.07.01 ID:57747
お悔やみ申し上げます
1992年10月14日に亡くなった人