☆歴代天皇(まいり)
戻る⇦第123代 大正天皇
第124代天皇(在位1926~89)。名は裕仁(ひろひと)、幼名は迪宮(みちのみや)。大正天皇第1皇子。母は九条節子(さだこ)即ち貞明皇后。在位期間は記録が信用できる天皇の中では歴代最長である。
1916年皇太子となり、21年3月から欧米各国を訪問。同年11月より、大正天皇の病状が悪化したため摂政となる。24年、久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)の長女である良子(ながこ)と結婚。26年12月25日に大正天皇が崩御、皇位を継承した。
その治世の前期は、相次ぐ戦争の時代であった。この間、天皇は戦争の拡大を憂慮していたが、止めるに止められなかった、という説と、国策による戦争の拡大を推し進めた、という説があるが、甲論乙駁定説をみない。
45年、ラジオを通じて終戦詔書を放送(玉音放送)、終戦を国民に告げる。46年正月、人間宣言で自らの神格性を否定。47年、日本国憲法が施行され、「日本国の象徴」および「日本国民統合の象徴」となった。その後、国民との距離を縮めるために各地を巡幸する。89年崩御、皇太子明仁(あきひと)が皇位を継承した。
生物学者としても知られ、著書に『相模湾産後鰓類図譜』『相模湾産海鮹類図譜』『那須の植物』などがある。