山形県出身。山形県立米沢中学校を経て、1920年、海軍兵学校に入学した。1923年に卒業の後は、戦艦の水雷長・艦長などを歴任。1932年のスラバヤ沖海戦で、駆逐艦「雷」を指揮していた折、漂流していたイギリスの海軍将兵422名を、敵兵であったにも関わらず救出した。彼はイギリスの将兵に、英語で「あなた方は日本海軍の名誉ある賓客であり、非常に勇敢に戦った」と語ったという。終戦時の階級は海軍中佐。戦後は故郷の山形で過ごし、1979年、78歳で没した。
なお、スラバヤ沖海戦で救出された将兵の一人であるサムエル・フォール元海軍中尉(フォール卿)は、工藤の墓参のため、また遺族へ感謝を伝えようとして2003年に来日。2005年には、惠隆之介⦅※評論家、ジャーナリスト。1954年生まれ⦆に、墓参などを代理して行ってもらった。そして2008年、駐日イギリス大使館附海軍武官や護衛艦「いかづち」乗員らの付き添いのもと、埼玉県で工藤への墓参りを果たした。このエピソードは2007年4月19日、フジテレビのバラエティー番組『奇跡体験!アンビリバボー』にて「誰も知らない65年前の奇跡」として再現ドラマを交えて紹介された。
工藤俊作 (海軍軍人) - Wikipedia