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樋口季一郎

ひぐち きいちろう
1888 - 1970
陸軍軍人
樋口季一郎さんについて
 兵庫県出身。明治42年歩兵少尉。浦塩派遣軍司令部付、参謀本部員、朝鮮軍参謀を経て、大正14年ポーランド公使館付武官。昭和8年東京警備司令部付、歩兵第41連隊長、10年第3師団参謀長、12年ハルビン特務機関長、13年参謀本部第2部長、14年中将、第9師団長。17年北部軍司令官。18年北方軍、19年第5方面軍、20年2月北部軍管区併置の各司令官として対米、対ソ作戦の最高指揮官を務めた。ハルビン特務機関長を務めていた13年、ナチスの迫害を逃れてシベリア鉄道でやってきたユダヤ難民の入国を満州国に認めさせ、16年までに数千人を鉄道ルートで天津に逃れさせた。没後の46年戦前の手記を「アッツ・キスカ軍司令官の回想録」として刊行。
樋口 季一郎とは - コトバンク
2021.05.26 ID:1252836
とても尊敬しております。
2021.05.19 ID:1248701
ユダヤ人とキスカ島の将兵5200名と北海道を救った英雄です。
2020.08.08 ID:687520
ハルピン特務機関勤務の頃、ナチスドイツの迫害でヨーロッパを追われたユダヤ人たちに懇願されて多数のユダヤ人たちに通行許可証を出し、その命を救いました。
これは樋口が独断でやったことだったので軍をクビになっても仕方ないと覚悟しての行いだったのですがドイツからは日本政府に対し抗議文が舞い込み、外務省や陸軍省、関東軍内では樋口の行動を問題視する声が上がり始めた。
当時関東軍参謀長の東条英機に呼び出された樋口は「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで弱い者いじめをすることが正しいことだと思われますか?」と一席ぶち、東条は樋口の発言に理解を示して樋口は特に咎めを受けることはなかった。
樋口の行動はもちろん、樋口を咎めず、ユダヤ人に理解を示した東條もまた、立派だったと私は思う。
2020.08.05 ID:684740
75年前、北海道がソ連の植民地になるのを免れたのは貴方の功績です。
本当にありがとうございました。
占守島でソ連と戦ってくださった日本の守備隊の方々にも改めて御礼申し上げます。
2020.08.02 ID:682436
樋口季一郎、今村均、山下奉文、宮崎繁三郎、中川州男etc・・。
陸軍にも優れた将軍はたくさんいましたね。
正当に評価される日が来ることを希望します。
2020.06.20 ID:629770
偉大な将軍だったと思います。
多くのユダヤ人の命を救ったのみならず北海道をソ連の魔の手から救いました。
樋口閣下の英断がなければ北海道はソ連の植民地になっていたところでした。
こういう事実を知らない日本人が多過ぎます。
2020.06.15 ID:628215
樋口季一郎さんを尊敬しております。
どうか、天国から日本を守ってくださいますように・・。
2020.05.14 ID:604982
お孫さんの隆一さんはバッハ研究の大家だそうです。
2020.05.11 ID:601657
戦後の日本の教育は誤っていました。
戦前の価値観を全て悪としたりすることで日本の歴史が特定の国々に都合のよいものに改竄されてしまったのです。
軍人は全て悪だったのでしょうか?
私はそうは思いません。
樋口季一郎さんや今村均さん、その他にも人の命を大事にする仁と徳に溢れた優れた軍人さんたちはいらっしゃいました。
私はそういう方々のことをこれからも心に刻んで日本人として生きていきたいと思っています。
2020.05.10 ID:600836
お孫様の樋口隆一さんによる著作が出ましたね。
戦後、季一郎閣下が自宅の書斎に籠ってしたためた文章が日の目を見ることになりました。
機会があればぜひ拝見したいと思っております。
2020.02.19 ID:382930
素晴らしい方です。
人情味溢れる方でした。
2020.02.17 ID:382270
理想の上司です。
2020.02.16 ID:381740
合掌。
2020.02.10 ID:379542
ハイカラだった樋口閣下に今日は赤い薔薇を捧げます。
2020.02.09 ID:379233
閣下の生き方に敬服している者です。
昨年、札幌郊外の「月寒」というところへ行き、今は郷土資料館になっている閣下が勤務されていた建物を見学させていただきました。
閣下に関する資料も豊富にあり、あの場所に閣下がいらっしゃったのかと思うと感無量でした。
数多のユダヤ人を助けたり、ソ連の北海道侵攻を阻止するために全力を尽くされた閣下のことは日本人として知っておきたい。
戦後はアッツ島で玉砕した部下の慰霊だけだったようです。
「軍人は全て悪」という戦後自虐史観をそろそろ改めるべきでしょう。
2020.01.30 ID:375332
立派な生き方を、現代の私たちに残してくださり本当にありがとうございます。合掌
2019.10.22 ID:340597
杉原千畝さんの勇気に感銘していて、時々、杉原さんのニュースがあると見ていたのですが、樋口季一郎という方も、ユダヤ人の救助に尽くしたということを初めて知りました。それ以外にもソ連軍の北海道への進軍の阻止したと知り、素晴らしい日本人がいることに誇りに思います。、
2019.08.19 ID:327346
たくさんの命をつないでいただき ありがとうございます
2019.05.12 ID:305960
ハイカラだった閣下に薔薇をささげてみました。
2019.05.10 ID:305651
尊敬しております。
2019.05.08 ID:305291
陸軍の名将の一人です。
非常に頭がよく、合理的でいながらとても人情味溢れる方だったようです。
2019.05.01 ID:303424
すめらぎ、いやさか。
2019.04.14 ID:299036
合掌。
2019.04.10 ID:297964
合掌。
2018.12.09 ID:271105
帝国陸軍きっての常識人であり、人情家であり、多くのユダヤ人を救うために尽力なさった閣下のひととなりを心に刻みつつ、日々精進したいと思いました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2018.11.05 ID:265107
とても人間味溢れる将軍でした。
2018.10.31 ID:264283
樋口さんは山崎保代氏を隊長とするアッツ守備隊を玉砕させたことを生涯悔いていた。
そのため戦後は表舞台には全く出ることもなく毎朝、自室に飾ってあるアッツ島の風景画に祈りを捧げていたという。
アッツ、キスカへの派兵を決めた当事者たちで亡くなった将兵たちに悔恨の念を持ち続けた人物っているのかな?(因みに樋口さんはこの決定に全く関与していません。)
無責任体制が生んだ玉砕だったとしか思えない。
2018.10.21 ID:262451
ご尊敬申し上げております。
2018.10.17 ID:261858
お孫さまの樋口隆一さんが最近イスラエルに行かれて大歓迎されたということを知って嬉しかったです。
2018.10.11 ID:260965
人の命を大事にするこのような方が陸軍のトップであったなら日本はあのような負け方をしなかったようにも思えます。
オトポールでのユダヤ人救出、キスカ撤退による五千名以上の兵士の救出、そして樺太・占守島でのソ連軍への徹底抗戦でソ連に北海道占領をあきらめさせたこと。
そのいずれもが見事な手腕でした。
樋口さんがトップだったらよかったのにと思えてなりません。
2018.10.08 ID:260480
こんな素晴らしい方がいらっしゃったのですね。
「陸軍軍人だったから」とこの方の功績まで亡きものにしようとする卑劣な考えには与しません。
杉原千畝のユダヤ人救出より2年も前に自分がクビになっても仕方ないという覚悟でヒットラーの迫害から追われてヨーロッパから逃げてきたユダヤ人たちを満州国から逃がした樋口閣下。
本当に尊敬できる方です。
2018.10.05 ID:260031
とてもバランスの取れた方だったと思います。
知性があり、人間味溢れ、いざという時には的確な判断をされた方でした。
どんな職業に就いても成功を収めるタイプの方だと断言できます。
2018.10.04 ID:259878
合掌。
ロシア語、ドイツ語、フランス語に堪能だったと聞いております。
ヨーロッパの社交界にも出入りするなど華やかな経歴もお持ちでしたね。
2018.09.30 ID:259127
「歴史街道」という月刊誌にはよく登場されます。
丸々樋口季一郎特集号だったこともありました。
樋口氏の生き方から我々日本人は得るものがあるはずです。
2018.09.28 ID:258901
ちょっとバタ臭いお花も選んでしまっていますが・・ヨーロッパ文化にも慣れていらっしゃる閣下ですから受け入れてくださいますかね・・?
あまり和風のお花もないもので・・ご容赦ください。
2018.09.27 ID:258761
樋口季一郎氏に関する評伝としては「流氷の海(相良俊輔著)」と「ある司令官の決断(早坂隆著)」があります。
これらを読むと、樋口氏は本当に正義感に溢れる熱血漢であり知的レベルの高い、決断力に優れた武人であります。
相手が同盟国ナチス・ドイツであろうと独裁者・スターリンに支配された恐るべき全体主義国家・ソ連であろうと相手に理がないと断を下せばひるむことなくそれらに立ち向かった真の勇者というイメージです。
2018.09.25 ID:258512
同盟のドイツとの関係が悪化するかもしれない中ユダヤ人を助けるまさに真の人間、軍人でした。
2018.09.25 ID:258454
あの当時の樋口閣下はどんな思いで藤田画伯の「アッツ島玉砕の図」を画伯と共に眺めたのでしょうか?
とても平静な心境ではいられなかったとお察しいたしますが。
苦しかったでしょうね・・
2018.09.24 ID:258315
藤田嗣治の描かれた「アッツ島玉砕の図」を藤田画伯と共に眺める樋口閣下の写真を拝見しました。(昭和18年9月頃?)
相当やせ細っておられる様子でした。
ご心痛だったのでしょうね。
お察し申し上げます。
2018.09.23 ID:258151
人の命を大切に考えていた将軍でした。
自身が北方司令官に就任された時、既にアッツ島、キスカ島には海軍の作戦で何千人もの将兵が派遣されてしまっていた。
南方での作戦が失敗して既にアッツ・キスカに兵を駐留させておくのは意味もなく危険なだけであると見抜いていた樋口は早い時期から大本営に撤退を進言していましたがその意見が通ることはなく、むしろ「弱腰の将軍だ」などと陰口を叩かれ、嘲笑される節もあったとか。
結局は昭和18年5月にアッツ島は玉砕します。
樋口はアッツへ兵を送った当事者でもなく早期撤退を具申していたのにも関わらずこれを無視され2600名余りの兵を死なせてしまいました。
これは樋口の生涯の傷となりました。
海軍や大本営の無責任な戦術のツケを樋口が一身に背負ったのです。
戦後樋口は生涯アッツで戦死した部下たちのことを想いながら隠棲しました。
樋口の自室には知人に描いてもらったアッツ島の風景画が掲げられており毎日それを眺めるのを日課にしていたそうです。
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