まいり
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藤田嗣治

ふじた つぐはる
1886 - 1968
東京都 画家 彫刻家
2020.03.25 ID:394246
日本に帰りたかっただろうなぁ・・。
お気の毒に。
2018.10.07 ID:260293
日本人形にフランスから貰った勲章。
藤田さんの葛藤が見える。
屈折した気持ちが見える。
合掌。
2018.10.07 ID:260272
父親が軍医で血縁者にも軍の関係者が多かったことから戦後スケープ・ゴートにされたところもあるのかな?
でもあの戦争画を見て「戦意が高揚された」と思う人はいないですよ。
いくらGHQでもあの画を見て「戦争協力者だ」と思うのには無理があります。
あの画からは戦争の悲惨さ、絶望感しか感じられません。
2018.10.06 ID:260138
ずっと日本で常設展やって欲しいくらいですが。

叶わぬ望みなのでしょうか?
2018.10.06 ID:260134
藤田さんは戦後の日本が嫌になっちゃったのかなぁ。
戦争に負けて腑抜けになった日本人が嫌いになっちゃったのかなぁ。故三島由紀夫氏と同じ心境だったのかなぁ。
祖国、母国が好きなのに捨てざるを得なかったのかなぁ。
フランスから叙勲されても所詮、異邦人だし。
悲しい話しだなぁ。
2018.10.06 ID:260123
波乱万丈の生涯でした。
2018.10.06 ID:260120
今週末で東京における「藤田嗣治展」も終わりですね。
2018.09.25 ID:258479
フランスの勲章を着けたぼろぼろになった日本人形・・。
藤田の満たされない想いがそこに凝縮されていたとしか思えませんね。
藤田嗣治・・その名をこれからも折あるごとに思い出すようにしたいです。
2018.09.25 ID:258380
勲章も、栄誉も、彼の心を満たすことはできなかった。
彼は今、ひっそりと異国の地に眠っている。
2018.09.24 ID:258336
フランスの勲章を着けたぼろぼろの日本人形・・それは確かに藤田嗣治氏の分身だったのかも。
2018.09.24 ID:258325
彼のエピソードの中で一番心に残ったのは彼の死後に遺品の中から彼がフランスから授かった勲章(レジオン・ドヌール勲章か)を縫いつけられたぼろぼろになった日本人形が見つかったということでした。
彼には「自分は日本を捨てたのではなく、日本に捨てられたのだ」という想いがずっと付きまとっていたのだそうです。
その日本人形は彼の分身のようなものだったのでしょうか・・。
2018.09.24 ID:258306
「藤田嗣治展」良かったですねぇ。
日本の誇る画伯です。
「アッツ玉砕の画」も拝見しましたが、戦争の悲惨さを嫌というほど感じさせてくれる画です。
ご本人は「あの画を描いたことに後悔はない。」とおっしゃっていたそうですが当たり前です。
彼を「戦争協力者」に仕立てようとする者がいる日本画壇に失望して彼は日本を去りました。
そして二度と日本に帰ることはなかったのです。
2018.09.17 ID:256992
戦後の日本は嫌でしたでしょうねぇ・・理解できます。
2018.08.29 ID:253618
戦後の日本に嫌気が差してフランス国籍を取り、パリに永住したんでしたよね。
2018.08.28 ID:253471
陸軍軍医の息子さんだったんですね。
その家系からこのような世界的芸術家が生まれるとは。
2018.08.25 ID:252880
難しいとこですね!
あたしは、戦間期のフランスに興味があって藤田嗣治さんなどがどんな青春(三十路は過ぎてるが)送ってたか興味があります
2018.08.25 ID:252859
アッツの玉砕があったからこそキスカの全員帰還に繋がったのです。
当時の北方司令官の樋口季一郎中将がアッツの二の舞にさせてはならないと煮え切らない大本営にカツを入れて撤退させました。
樋口中将は「アッツの英霊たちの加護があった」とおっしゃっていました。
2018.08.25 ID:252855
アッツ島の玉砕は、キスカ島の無血撤退に比べあまりにも悲惨で
2018.08.25 ID:252849
藤田さんはお父様が陸軍の軍医だったし血縁者に軍人が多かったと思いますよ。
当然アッツ島玉砕には衝撃を受けたことでしょう。(というか、当時の日本人でこの事件に衝撃を受けない人はいなかったことと思います。)
2018.08.25 ID:252755
藤田さんは、戦争中は日本に帰国されていました。日本にいた以上は
2018.08.25 ID:252752
へぇー、アッツ島の戦争画を画かれていたんですか。
合掌。
2018.08.25 ID:252723
藤田さんは戦争の画も書かれました。
藤田さんにも大きな衝撃を与えた「アッツ島玉砕の画」がそれです。
2018.08.25 ID:252704
藤田嗣治が27歳の時にパリで描いたおかっぱ頭の自画像が宇都宮市内で見つかる!
 ID:45464
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