力道山
りきどうざん
1924 - 1963
プロレスラー 大相撲力士 実業家
- 亡くなってから61年8日過ぎました。
- 39歳で亡くなりました。
- 1924年11月14日に誕生、1963年12月15日に亡くなりました。
- 生誕96年が経過しました。没後57年が経過しました。
- 暮らした時代は、大正(3年41日)、昭和(37年0日) です。
- 次の法要は38年2日後、2062年12月15日の百回忌です 一覧
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力道山さんの主な法要の日を表示しています。
命日は12月15日です。
仏式の場合
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初七日 - 1963年12月21日
四十九日 - 1964年02月01日
百か日 - 1964年03月23日
一周忌 - 1964年12月15日
三回忌 - 1965年12月15日
七回忌 - 1969年12月15日
十三回忌 - 1975年12月15日
十七回忌 - 1979年12月15日
二十三回忌 - 1985年12月15日
二十五回忌 - 1987年12月15日
二十七回忌 - 1989年12月15日
三十三回忌 - 1995年12月15日
五十回忌 - 2012年12月15日
百回忌 - 2062年12月15日
百五十回忌 - 2112年12月15日
二百回忌 - 2162年12月15日
三百回忌 - 2262年12月15日
神式の場合
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十日祭 - 1963年12月24日
二十日祭 - 1964年01月03日
三十日祭 - 1964年01月13日
四十日祭 - 1964年01月23日
五十日祭 - 1964年02月02日
一年祭 - 1964年12月15日
三年祭 - 1966年12月15日
五年祭 - 1968年12月15日
十年祭 - 1973年12月15日
二十年祭 - 1983年12月15日
三十年祭 - 1993年12月15日
四十年祭 - 2003年12月15日
五十年祭 - 2013年12月15日
百年祭 - 2063年12月15日
百五十年祭 - 2113年12月15日
二百年祭 - 2163年12月15日
三百年祭 - 2263年12月15日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1963年12月17日
追悼ミサ(七日目) - 1963年12月21日
追悼ミサ(三十日目) - 1964年01月13日
死者記念のミサ(一年目) - 1964年12月15日
死者記念のミサ(十年目) - 1973年12月15日
死者記念のミサ(二十年目) - 1983年12月15日
死者記念のミサ(五十年目) - 2013年12月15日
死者記念のミサ(百年目) - 2063年12月15日
死者記念のミサ(二百年目) - 2163年12月15日
死者記念のミサ(三百年目) - 2263年12月15日
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1時間:0人 1日:0人 1週:4人 1カ月:20人 1年:336人
詳細
力道山さんについて
本名:百田光浩(ももた みつひろ)
旧名:金信洛(キム・シㇽラク 김신락)
出身地:朝鮮咸鏡南道洪原郡新豊里⦅今の北朝鮮⦆
昭和14年(1939年)に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇にまで昇進しましたが、昭和26年(1951年)にプロレスに転向し、空手チョップで空前のプロレス・ブームを巻き起こしました。中でも昭和29年(1954年)のシャープ兄弟との対戦は街頭テレビで中継され、日本中を熱狂させました。現在、遺族の方々の尽力により力道山記念館設立の動きもあります。
力道山をプロレスの世界に引き込んだのは、プロレスラーのハロルド坂田でした。芝の水交社の練習場をのぞきにきた力道山は、すぐにプロレスの魅力にとりつかれ、プロレスラーへの道を歩み出します。アメリカから凱旋帰国した後には、プロレスをビジネスとして定着させるためのプロモーターとしても手腕を発揮しました。
力道山は格闘家としてだけではなく、実業家としての才覚も示しています。赤坂に8階建てのプール付きの豪華な「リキ・アパート」を建て、そこを拠点にホテル、ナイトクラブ、マンション経営などを展開し、赤坂を“リキ王国”にすることを夢見ていました。
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