布施辰治
ふせ たつじ
1880 - 1953
弁護士 社会運動家
- 亡くなってから71年66日過ぎました。
- 72歳で亡くなりました。
- 1880年11月13日に誕生、1953年09月13日に亡くなりました。
- 生誕140年が経過しました。没後67年が経過しました。
暮らした時代は、明治 から 昭和 です。一覧
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布施辰治さんの暮らした時代を表示しています。
明治(32年266日)
大正(15年151日)
昭和(27年270日)
- 次の法要は28年307日後、2052年09月13日の百回忌です 一覧
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布施辰治さんの主な法要の日を表示しています。
命日は09月13日です。
仏式の場合
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初七日 - 1953年09月19日
四十九日 - 1953年10月31日
百か日 - 1953年12月21日
一周忌 - 1954年09月13日
三回忌 - 1955年09月13日
七回忌 - 1959年09月13日
十三回忌 - 1965年09月13日
十七回忌 - 1969年09月13日
二十三回忌 - 1975年09月13日
二十五回忌 - 1977年09月13日
二十七回忌 - 1979年09月13日
三十三回忌 - 1985年09月13日
五十回忌 - 2002年09月13日
百回忌 - 2052年09月13日
百五十回忌 - 2102年09月13日
二百回忌 - 2152年09月13日
三百回忌 - 2252年09月13日
神式の場合
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十日祭 - 1953年09月22日
二十日祭 - 1953年10月02日
三十日祭 - 1953年10月12日
四十日祭 - 1953年10月22日
五十日祭 - 1953年11月01日
一年祭 - 1954年09月13日
三年祭 - 1956年09月13日
五年祭 - 1958年09月13日
十年祭 - 1963年09月13日
二十年祭 - 1973年09月13日
三十年祭 - 1983年09月13日
四十年祭 - 1993年09月13日
五十年祭 - 2003年09月13日
百年祭 - 2053年09月13日
百五十年祭 - 2103年09月13日
二百年祭 - 2153年09月13日
三百年祭 - 2253年09月13日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1953年09月15日
追悼ミサ(七日目) - 1953年09月19日
追悼ミサ(三十日目) - 1953年10月12日
死者記念のミサ(一年目) - 1954年09月13日
死者記念のミサ(十年目) - 1963年09月13日
死者記念のミサ(二十年目) - 1973年09月13日
死者記念のミサ(五十年目) - 2003年09月13日
死者記念のミサ(百年目) - 2053年09月13日
死者記念のミサ(二百年目) - 2153年09月13日
死者記念のミサ(三百年目) - 2253年09月13日
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詳細
布施辰治さんについて
日本人初の韓国建国勲章 受章者
令和元年(2019)は、勲章受章15周年
平成16年(2004)
10月12日 韓国政府が「建国勲章」授与を発表
新聞各社が一斉にこれを報道した
11月23日 日蓮正宗総本山第六十七世・阿部日顕上人猊下の大導師を仰ぎ、布施辰治ら一族の菩提寺 霊鷲山常在寺開創四百周年慶祝法要が奉修される
12月21日 韓国大使館に於いて、建国勲章伝達式
布施の孫 大石進氏に手渡される
布施家菩提寺の四百周年記念と建国勲章受章
仏法は因、縁、果を説く、偶然ではない
解放運動 人権擁護の戦士 布施辰治
戒名は『覺法院全能衆愍居士』
遺骨は日蓮正宗 霊鷲山常在寺の墓中に、その命魂は総本山大石寺に御坐す「本門戒壇の大御本尊」の御中に御引入賜っている
布施辰治は故人です
故人に対しては追善回向こそが肝要
徒らに政治利用すること勿れ
春季彼岸会にあたり玄孫之を記す
昭和28年(1953)
9月13日 永眠
9月14日 解剖
9月15日 自宅にて葬儀(宗派は日蓮正宗)
9月26日 日比谷公会堂にて大衆的告別式(こちらは無宗教)
一周忌までは、毎月13日に常在寺にて法要を営む
12月13日 第百箇日忌法要と兼ねて墓碑除幕式が執り行われる
以後、三回忌、七回忌も常在寺にて法要を営む
昭和40年(1965)
9月13日 常在寺第三十五代住職・佐藤日成御尊能化の導師のもと、第十三回忌法要を営む
この時に撮影された写真が『布施墓所集合写真』として各地の催し物に展示されている
昭和47年(1972)
2月2日 日蓮正宗総本山第六十六世・細井日達上人猊下の大導師を仰ぎ、夫人光子の告別式が執り行われる
常在寺新築工事中のため、鎌倉市の日蓮正宗寺院・立正山護国寺を会場として使用した
昭和50年(1975)
4月1日 日蓮正宗総本山大石寺に於いて、夫人光子の実弟・平澤益吉 法華講連合会初代委員長の第三回忌満山供養が執り行われる
布施家からは、長男柑治、長女乃文子、三女乃信子、四女辰乃の四名が参列
大客殿での満山供養、正本堂での御開扉を頂戴している
日蓮正宗の信徒であった証である
平成2年(1990)
11月23日 長男柑治 第十三回忌・妻すぐれ 第二十三回忌の法要を営む
平成12年(2000)
11月23日 布施辰治 光子夫妻と辰乃 茂人夫妻の遺骨を一族の墓へ合祀する法要を営む
以後、旧墓碑「布施辰治之碑」は顕彰碑としての扱いとなる
平成14年(2002)
6月15日 長男柑治 第二十五回忌の法要を営む
平成18年(2006)
1月 四女の夫 茂人 第七回忌の法要を営む
平成20年(2008)
1月27日 夫人光子 第三十七回忌の法要を営む
平成24年(2012)
1月 四女の夫 茂人 第十三回忌の法要を営む
平成25年(2013)
6月14日 長男柑治 第三十七回忌・妻すぐれ 第五十回忌の法要を営む
平成26年(2014)
9月24日 長男柑治の長女 曉子 初七日忌の法要を営む
11月8日 七七日忌の法要を営む
12月28日 百箇日忌の法要を営む
平成27年(2015)
9月20日 柑治長女の曉子 第一周忌の法要を営む
平成28年(2016)
1月 四女の夫 茂人 第十七回忌の法要を営む
9月18日 柑治長女の曉子 第三回忌・四女辰乃 第三十三回忌の法要を営む
夫人の光子は戦前の篤信者で、全国法華講(日蓮正宗檀信徒の総称)大講頭、東京本門講を結成した平澤億太郎の二女
億太郎は、墨田区向島 久遠山常泉寺等の檀家総代でもあった
光子や三男四女の子供たちは皆、東京本門講に所属していた日蓮正宗檀信徒の一族である
毎年の命日に遺族による墓参あり
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