熊本県出身。最終階級は海軍大佐。旧制熊本県立濟々黌中学校から海軍兵学校第50期に入校するが、航空機事故により搭乗員の道を諦め、海軍陸戦隊の道へ進む。太平洋戦争開戦直前、横須賀鎮守府附第1特別陸戦隊司令に就任。1932年1月11日、海軍落下傘部隊を率いてセレベス島メナドを占領。これは、陸軍落下傘部隊のパレンバン占領(=2月14日)より1ヶ月早い快挙だったが、海軍が報道を遅らせたため、陸軍落下傘部隊の方が有名になった。戦後、B級戦犯として日本からメナドに移送され、48年9月25日に処刑。しかし、この判決はオランダ人捕虜たちの一方的な証言に拠ったもので、地元住民からも堀内の身の潔白を訴える嘆願書が出されていたという。
処刑から5年後の53年4月29日、戦争犯罪人指定解除を受けた。
堀内豊秋 - Wikipedia