まいり
サイト継続の為ご支援お願いします m(_ _)m 詳細
[ 2023.04.02 ] ログイン機能APPLEを追加しました。
使い方・仕様 | ログインページ

中川州男

なかがわ くにお
1898 - 1944
軍人
中川州男さんについて
中川 州男(なかがわ くにお、1898年(明治31年)1月23日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、日本の陸軍軍人。陸士30期。最終階級は陸軍中将。
太平洋戦争(大東亜戦争)のペリリューの戦いにおいて、歩兵第2連隊長としてペリリュー島守備隊(約1万2千名)を指揮し、同島を長くても3日で攻略できると楽観していたアメリカ海兵隊(約4万9千名)を相手に71日間に渡って組織的戦闘を続け、自軍の玉砕と引き換えにアメリカ海兵隊に多大な損害を与えた武功で知られる。

1944年9月15日、アメリカ軍がペリリュー島に上陸、日米は熾烈な戦闘を継続(ペリリューの戦い)。昭和天皇から中川部隊へ嘉賞11度、上級部隊司令部から感状3度が与えられた。しかし次第に物量に勝る米軍の前に劣勢を強いられ、11月24日にはついに司令部陣地の兵力弾薬も殆ど底を突き、司令部は玉砕を決定、中川が自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵による「万歳突撃」が行われた。こうして日本軍の組織的抵抗は終わり、11月27日、ついに米軍はペリリュー島の占領を果たした。中川は戦死後に2階級特進し、陸軍中将に任ぜられた。

中川は一度は宇垣軍縮の煽りを受けて配属将校となり、キャリアを絶たれたかに見えたが、その後の日中戦争の開戦により実戦で野戦指揮官としての能力を認められ、40歳を過ぎて陸大専科に進む等、エリートとは一線を画す叩き上げ軍人であった。それだけに合理的精神の持ち主で、全島を徹底して要塞化、地下陣地化して兵の保全に努め、兵の過早の玉砕を戒めて出来るだけ多くの米兵の出血を強いるという戦術を取り、米上陸軍を苦しめた。中川の取った組織的な戦法・戦術は、後に硫黄島の戦い、沖縄の戦いにおいて参考とされ、米軍に対し効果的な損害を与えることに成功することとなる。

2021.02.03 ID:1194974
合理的かつ超絶な精神力の持ち主だと思います。
2020.04.03 ID:515119
お悔やみ申し上げます
 ID:37047
お悔やみ申し上げます
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら
ログインするとサービスがご利用いただけます。
ログインページ