海軍軍人。香川県白鳥本町出身。1923年海軍兵学校を首席で卒業。24年海軍少尉。26年第15期飛行学生着任。29年軍令部付国際連盟代表随員としてジュネーブ軍縮会議に同行。35年海軍大学校を首席で卒業。38年の重慶爆撃では、「樋端ターン戦法」と呼ばれる戦法で戦果を上げた。38年連合艦隊参謀。39年海軍中佐・第十五航空隊飛行長。40年海軍省軍務局第1課A局員。42年連合艦隊航空甲参謀。43年山本五十六連合艦隊司令長官に随行して前線視察をしていたおり、ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて戦死した(海軍甲事件)。死後、海軍大佐に特進となった。
樋端久利雄 - Wikipedia