鹿児島県出身。八幡小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て、1936年海軍兵学校に67期生として入校。1939年に卒業し、海軍少尉候補生として装甲巡洋艦「磐手」の乗組員となる。
1941年、真珠湾攻撃にて特殊潜航艇「甲標的」で湾内に侵入、米国の軽巡洋艦「セントルイス」へ魚雷を発射するが失敗し、母潜に電信を送ったのち撃沈され戦死した。
戦艦「アリゾナ」撃沈は飛行機からの攻撃によるものだったにもかかわらず、日本国内での宣伝では横山艇の手柄とされ、二階級特進により海軍中尉から海軍少佐となった。
横山正治 - Wikipedia