まいり

小柳津要人

おやいづ かなめ
1844 - 1922
実業家 武士 岡崎藩士 丸善3代目社長
小柳津要人さんについて
三河国岡崎にて誕生。
幕末の動乱期、徳川への忠義を胸に仲間と脱藩。
旧幕府軍遊撃隊第三軍(岡崎隊)の一員となり
沼津から箱館・五稜郭までを戦い抜いた。

戦後は、沼津の乙骨塾並びに慶應義塾で学び
明治6年 ( 1873年 )横濱丸善商社に入社。
丸善大阪支店支配人、東京本店支配人を経て
明治33年(1900年)丸善3代目社長となる。
福澤諭吉に「 士魂商才 」といわれたほどの人物。
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2020.12.24 ID:1165924
「 サンタクロースは
丸善屋上に宿して
幸福なる貴婦人令嬢
紳士諸君の来るのを待つ 」

クリスマスイブの今日
日本橋丸善屋上に
白髭の小柳津さんが現れる気がして
祖父と父に会える気がして
この場所に来てしまいました。

クリスマスが大好きだった父。
清彦はどんなプレゼントをあげたのでしょう。

私の今年のクリスマスプレゼントは
小柳津さんたちに再会できたことです。
また会いにいきます。
2020.12.09 ID:1157155
小柳津さん

今日もまた小柳津さんたちに会えて
とても嬉しかったです。
お線香をあげて手を合わせ
小柳津さんたちの名前に
そっと手を触れることしかできないけれど
会いたい時にすぐ会いに行けることが
とても嬉しいです。

別れの時がいつも悲しくて仕方ない。
今日も何度も振り返っては手を振りました。

もうすぐ八木佐吉さんの命日です。
若き日の小柳津さんの生き様に光を当て
後世に残してくれた大切な丸善人。

小柳津さんが亡くなった時に
高村豊周氏が作ってくださった追善の品は
八木さんのお子さんのお手元に
いまも保管されているはずです。

ご家族が手放したものの
ゆかりない人の手に大切な品が渡るのが
嫌だったのかもしれませんね。
私から誰にも売らずに八木さんのところで
保管してくださいとお願いしてきたから
大丈夫だと思います。

また会いに行きますので
皆さんと仲良くお過ごしください。
2020.12.02 ID:1153117
小柳津さん

先日は約3年ぶりに小柳津さんたちご家族に
再会することができ本当に嬉しかったです。

何とも不思議な不思議な形で
小柳津さんたちのお引越し先を教えてくれた、林董さん。
こんな不思議なことがなぜ私に起きるのか怖いけれど
人というものは亡くなってどれだけ月日が過ぎようと
その「 心 」だけはずっと生き続けているものなのだと
またも言葉なく教えられたのかもしれません。

あの日以来、毎朝小柳津さんたちの「 家 」のある
方角に向かい心静かに手を合わせています。

私は小柳津さんたち家族の永遠の「 不忘義団 」

これからも宗吾さんや淑子さんを始め
できるだけ皆さん全員のお命日に
お花とお線香を持って会いに行きます。

小柳津さんたちご家族が「 確かに生きていた証 」を
このような形で私の家の近くにお残しくださった
末裔の方に深く感謝いたします。

これからも小柳津さんたち家族を愛し続けると同時に
戊辰に散った仲間たちと丸善とを顕彰していきます。
2020.11.15 ID:1138414
大正の昔、笑顔のかわいい1人の少年が
日本橋丸善に入社してきました。

彼の名は「 伊東八十八 」
私たちにとって弟のような特別な存在でした。
それから30年。
真面目一筋に丸善で働き続けた彼を
ある事件が襲いました。
彼は3カ月苦しみ悩み追い詰められ
ついに11月15日朝8時15分
出勤途中の駅で自死を選びました。

なにも悪くないただ真面目に生きてきた
八十八がなぜこんな最期を迎えたのか。
到底納得することはできません。
私たちでさえいまだ悲しく涙が出るのだから
残されたご家族は生きながら魂を奪われ
みな丸善を憎み続けたに違いありません。

勤続30年表彰のその年に起きた
彼と家族の運命を大きく変えたこの事件。
私は大切な弟を思うようにこの日この時間に
手を合わせ八十八の心に寄り添います。

君はなにも悪くないんだ
苦しむ必要はないんだよ
そう八十八に言ってあげて欲しい。
彼を抱きしめてあげて欲しい。

二度とこのようなことが起きないよう
いま丸善で一生懸命働いている人たち
1人ひとりの存在をお見守りください。
2020.10.24 ID:1123019
小柳津さん

遠い昔「 ロイヤルタイプライター 」を
率先して宣伝・販売した間宮不二雄さんを
覚えていますか??
用度庶務係だった伴亀之助さんの紹介で
明治36年に丸善に入社したあの彼です。

小柳津さんが勇退する1年前に
丸善を辞めてアメリカに留学した彼は
その後日本初の図書館用品商社を設立します。
栗野彬さんの晩年大阪で偶然2人は出会い
彬さんが突然亡くなるまでの間
ずっと親しく交流していました。
彬さんが最期に会った丸善人は間宮さんであり
没後すぐかけつけてくれたのも間宮さんです。

小柳津さんは私に教えてくれましたね。
お世話になった人の命日にはお墓にいくのだと
だから今日間宮さんに会いに行きました。
2人で働いたあの懐かしい赤レンガ社屋の
絵柄のノートと大阪支店で撮った写真を
プレゼントし 色々な話をしました。

彼が旅立って50年という節目の日に
ありがとうという深い感謝の気持ちを
直接伝えることができましたことを
小柳津さんにもご報告いたします。
2020.10.17 ID:1117199
戦後不況で東大を出ても
就職先がなかなか決まらなかった
私の叔父にとある民間企業から
お声がかかりました。
「 福助足袋 」
現在も頑張っている立派な会社です。

いまを生きる家族たちは
どこからそのありがたいお話をいただいたのか
ずっと不思議に思っていました。
最近になり のぶ子さんのご家族が
福助足袋創業の関係者とわかり
やっと子どもの頃からの謎がとけました。

誰もが生きるのが大変だった荒廃した時代。
宗吾さんの温かなご配慮に感謝すると同時に
私たち家族がともに日本橋丸善で
長きに渡り生きてきたことを
とても誇りに思います。

小柳津さん。
いま日本橋丸善の店頭には
明治43年竣工のあの懐かしい
赤レンガビルをモチーフにした
かわいいノートたちが並んでいます。
まだ心に留めてくださる方たちが
丸善にいることがなんとも嬉しいですね。
私はこれからも日本橋丸善を応援していきます。

姿形はなくても惟吉さんを含む
小柳津さんたちご家族の心を
不思議といつも近くに感じています。

宗吾さんの旅立ちの日に寄せて
2020年10月17日
2017.09.08 ID:198037
小柳津さん

宗和さんの日の今日。
廟所にお参りさせていただきました。

明治初年、岡崎藩の御用人だった宗和さん。
残り2人の御用人は、いずれも私の5世祖父です。
運命のいたずらか、両家の玄孫となった私。

他人から見れば、何代も後の人間かもしれませんが
小柳津さんのことを尊敬する気持ちは
みき同様、少しも変わりません。

苗字は異なれど、小柳津の血を引く方々が
これからも小柳津さんたち古いご家族を
敬愛し大切にしてくださるよう
強く願っています。

康恵
2017.07.07 ID:189051
小柳津さん

増上寺の七夕まつりにきています。

徳川幕府に最後まで忠義を尽くした
旧岡崎藩士たち全員が
来世は自由で素晴らしい人生を
送れますようにと短冊に書き
笹に託しました。

増上寺さんに祈祷していただけるそうです。

小柳津さんへの感謝の気持ちを
これからも持ち続けていきます。

ありがとう。

康恵より
2017.06.22 ID:187349
小柳津さん

昨日は大雨でしたが、
お命日にお墓参りできる
最後の機会のような気がして
お邪魔しました。

お花は飛ばされて
しまったでしょうか?
お線香の火は途中で
消えてしまったでしょうか?

中村彰彦先生が
遊撃隊の新刊を発表しました。
小柳津さんの名前も載っています。

戊辰戦争終結150年。

亀田や和多田さんの眠る田村市など
小柳津さんの足跡を引き続き辿り、
全ての藩士仲間たちにお線香を
手向けてきますので
どうか安心してください。

康恵
2016.12.25 ID:170139
小柳津さん

若き日の小柳津さんの足跡を訪ねる旅の最中、
会津若松付近で1枚の絵画に出合いました。

なぜか私の心を強く強く惹くその絵が気になり
描いた画伯のことを調べ、あれこれ辿った結果
かつて長く『学鐙』の編集長をしていた方と
祖父との深い繋がりがわかりました。

クリスマス・イヴの昨日、その方のご家族から
あたたかいお手紙を頂戴しました。

小柳津さんのことを調べることで
次々に見えてくる、不思議な出来事。

人と人とは、どんなに時代を超えても
不思議な縁や深い愛情で繋がっているものなのだと
教えられた気がします。

なによりのクリスマスプレゼントをありがとう。

白髭の小柳津さん。
今日はあなたが私のサンタクロースです。

私と小柳津さんの人生は
決してまじわることはなくも
遠い遠い家族の時代から
こうして見えない絆でずっとずっと
繋がっていることを忘れません。

本当にありがとう。

康恵より
2016.06.21 ID:160069
小柳津さん

「請西の人たちが
(お墓参りに)きてくれたけど
すぐに帰ってしまったよ」と
昨日夢の中で嬉しそうに仰って
いましたね。

箱根で亡くなった
請西藩士たちのため、
供養塔を有志で建てたのは
小柳津さんを筆頭に、わずか3人。

今でもその感謝を忘れずにいて、
お命日前日の昨日
青山まできてくれたのでしょうか。

なんとも
不思議な夢でした。

旧幕府軍の中でも
大変辛い人生の後半戦を送る
ことになった、
請西藩主 林昌之助忠崇公。

請西藩家臣団の人たちの存在も
きっと戊辰戦争後は
すっかり忘れ去られていたのでしょう。

そうした人の存在を忘れず
供養のため、奔走した心優しく
忠義心に厚い小柳津さんを
私は心の底から尊敬し

小柳津家と我が家が
江戸時代から親しい間柄だったことを
大変誇りに思います。

今月も無事廟所に
お参りさせて
いただきまして
ありがとうございました。

お墓参りの最中、どこからともなく
飛んできた大きな蝶が
フワッと私の肩にとまりました。

またも不思議な体験です。

康恵
2016.06.04 ID:159410
小柳津さん

昨日は我が一族が最後にお仕え
した藩主・乗秩様のお命日と
いうこともあり、菩提寺に
お参りにいきました。

6年前、このお寺に初めて
足を運んだ時、大変に優しく
出迎えて下さり、古い時代の
ご先祖を大切にすることは
とても素晴らしいことだと
お褒め下さった方の父上様が
あの大樹寺さんの数代前の
ご住職だと知り 言葉を失いました。

「厭離穢土 欣求浄土」

先日大樹寺さんでいただいた御朱印に
記されたこの家康公 所縁の言葉が
このお寺にも掛け軸として
飾られておりました。

岡崎の小学生は
全員暗記させられる言葉とのこと。

幼い頃の清彦もこの言葉を
口ずさんだのでしょうか。

不思議な出逢いを次々に与え、
先人との所縁ある繋がりを
教えてくれるのはなぜなのですか。

ご縁というものが本当に
この世にあり 同じ時代を生きずとも
先祖とは必ずどこかで繋がっている
のだと痛感せざるを得ません。

厭離穢土 欣求浄土
君も使命感を持って生きなさい
そんなメッセージなのでしょうか。

康恵
2016.05.24 ID:158948
小柳津さん

土曜日にお供えした百合のお花は
まだ枯れていないでしょうか?

カサブランカの仲間で
シベリアという種類のお花。

威厳があり、美しく
大変に上品で……

淑子さんはきっと
このお花のような方でいらしたのかも
しれないですね。

小柳津の家を何とか守るため
数々のことに尽力した淑子さんは
本当に立派な方だと思います。

小柳津さん。

頑張って生きた淑子さんを
どうか抱きしめてあげて下さい。

ご家族の方が会いにきて下さるよう
お祈りしております。

康恵





2016.05.05 ID:158165
小柳津さん

岡崎の街には、城あれど
本多岡崎藩士たちの史実は
殆ど残されておらず
大変に驚き悲しく思いました。

明治の世になっても
郷里を忘れず
カクキューさんのため
東奔西走したことや
図書館開設のために
多くの書物を寄贈したこと。

時代が変わってもずっと
藩士仲間との繋がりを
大切にしていたこと…….

激変する時代に、どう気持ちを
切り替え 前向きに努力し
生きたかが大切なのに
脱藩したという記載しかない。

城に来る岡崎の子どもたちに
この町には
「小柳津要人」という時代の波にも
負けず、仲間を大切にしながら
力強く新しい時代を生き抜いた
素晴らしい人物がいたということを
何とか知ってもらいたい
私はそう思います。

「心を起こそうと思わば
まず身を起こせ」(藤村×ニーチェ)

馬籠宿で出合ったこの言葉
に従い、 私は小柳津さんの
功績を史実として後世に、
岡崎城内にしっかり残せるように
これから動き出します。

康恵
2016.04.30 ID:157978
小柳津さん

ついにこの日がまいりました。

先人たちが愛し過ごした
歴史深き三河での時間を、
皆の生きた人生と
その故郷とをしっかりこの目で
見つめ、心で感じてきます。

もちろんあなたの
ポートレイトも一緒です。

私も淑子さんのように
自分のご先祖のために
この家最後の人間として
立派なアンカーマンを
つとめたいと思います。

小柳津さん、
いざ出立です。

康恵
2016.04.28 ID:157906
小柳津さん

おはようございます。

私の仲間となる岡崎藩士らしき方へ
昨日お手紙を出しました。

「岡崎藩士分限帳」に記載のない
藩士たちの名誉のため

「惣まくり」を糧に
大変な時代を生きた仲間として
その名を後世にきちんと残すため
私が一歩を踏み出しました。

小柳津さんが私に伝えたかったのは
六三さんのことだったのですね。

師匠であるあの方と六三さんのため
亡くなるまで月命日に
千駄木から青山墓所に
いらしていたのだと
やっとわかりました。

生まれた場所、学び舎、仕事、住居。
いままで選択の余地なく
この道を歩んできましたが

その全てが小柳津さんの人生や恩人と
ぴったり重なることが
はっきりとわかり、怖くなりました。

「全ての道はローマに通ず」
ならぬ「全ての道は小柳津に通ず」

私は更に感謝して生きなければ
いけないと思いました。

師匠と六三さんの所には
私が代わりにお参りしてきますから
もう心配しないでね。

小柳津さん いつも
不思議体験 ありがとう。

康恵
2016.04.23 ID:157710
小柳津さん

岡崎出発まで
あと1週間という昨日。

ついに岡崎藩士の末裔らしき
人を発見しました。

かつて小柳津さんたちと
図書館開設に向け尽力、
郷土の歴史研究に
その人生の全てを捧げた
柴田顕正氏。

この方はまるで
現代を生きる同氏のように
後世に岡崎の歴史をなんとか遺そうと
東奔西走していらっしゃいます。

まさに「彰往考来」

こんな立派な志の方が
岡崎にはまだいらっしゃいます。

この方のように何らかの
情報発信をしていくことが
編集者・記者であった
私の目標ではありますが

まずは小柳津さんのように
自分の書籍を岡崎中央図書館に
寄贈するなど、できることから
岡崎に貢献していきたいと
思っています。

小柳津さん
いつも勇気をありがとう。

時の流れとともに
みんなが小柳津さんを忘れても
私だけはいつも忘れないよ。

小柳津さんは私のこの心に
ずっと生き続けています。

康恵
2016.04.20 ID:157614
小柳津さん

今日もありがとう。

かわいいお花さんたちが、日曜日の強風で
吹き飛ばされてしまったかもしれないと
心配になり、また足が向いてしまいました。

夢に出てきた小柳津さんは
お墓を拝む後ろ姿だったけど
「私はこうして亡くなるまでずっと
月命日に足を運んだものだよ」と言っていましたね。

どなたの月命日だったのか
気になるところです。

明日は、小柳津さんと邦太さんの月命日。

綺麗なお花さんたちと一緒にあたたかく
お迎え下さい。

康恵
2016.03.31 ID:156694
小柳津さん

今日は清彦のお命日です。

遠い明治のあの日
小柳津さんと美喜が
決めた丸善入社という道。

清彦は亡くなるその日まで
2人の志をしっかりと守り
丸善にその人生を捧げました。

主君に忠実に、仲間を大切に
贅沢を慎み 堅実に生きる--

彼がその76年の人生の中で
貫いた姿勢は
まさに、三河武士そのものです。

小柳津さんが人生の指針を
与えて下さったことで
清彦は素晴らしい仲間とともに
その生涯を過ごすことができた、
私はそう思っています。

美喜や清彦が信条にした
「三河魂」を
「小柳津スピリッツ」を
私も生涯の糧とし、
これから更に一生懸命
生きていく努力をしてまいります。

今日は清彦が生前愛した
赤坂の秘密基地でゆっくり
ちょっと贅沢にお食事をした後
夜桜を鑑賞する予定です。

小柳津さんも是非ご同席下さいませ。

康恵より
2016.03.16 ID:155924
小柳津さん

おはようございます。
すっかり春らしい季節になりましたね。

昨日「M」の色々を私の手元に
持ち帰ってきました。

大正初期に撮影されたであろう、
社員の全体写真には
晩年の小柳津さんと若き日の清彦が
写っていました。

「先人たちが深く愛し、
1歩ずつ築いてきた歴史ある丸善を
なんとか今後も守りたいものだねぇ」

大正7年生まれ。
今年で98歳となる、新海竹太郎先生作の梟さんが
毎朝私にそう話しかけてきます。

これまで広告や編集・記者と好きなことを
させてもらい、生きてきました。

これからは、丸善や祖先の故郷・岡崎のために
いまの自分になにができるのかを考え
しっかりと行動したいと思っています。

小柳津さん
今日も1日よろしくお願いいたします。

康恵
2016.03.13 ID:155764
小柳津さん

清彦の遺した手帖の友人欄に
「塚原周吾」という
お名前を見つけました。

同氏のお父上・塚原周造氏は、
箱館・五稜郭に散った
浦賀与力・中島三郎助氏の意志を継ぎ
榎本武揚公、荒井郁之助公と3人で
浦賀ドックを作った人物。

なぜ清彦とそのご子息が
友人だったのか
とても気になります。

私は昔からずっとずっと
前向きで勇気溢れる
中島三郎助が大好きで。

まさか若き日の
小柳津さんが
同じ時間・同じ場所で
大好きなあの三郎助と
一緒に戦っていたなんて
本当にいまでも信じられません。

周りに歴史がわかる人がいないから
小柳津さんがどんなに凄いのかを
誰とも共感できず、本当に残念です。

4年位前から
日々出合うものや出合うことが不思議と
全て榎本武揚公や戊辰戦争に繋がり
最終的に必ず小柳津さんに
いきついてしまいます。

毎日が不思議の連続。

なにか私に伝えたいことが
あるのかな。大丈夫?

青山からどこか遠くへ
行かないでね。

また会いに行きたいから。

康恵
2016.03.09 ID:155551
小柳津さん

今日は高祖父・鼎のお命日です。
明治42年サンキューの日に
岡崎石屋町から旅立ちました。

昨日、高祖父母そして3月が
お命日の祖父母のため
とある歴史ある遠いお寺に
お経を読んでいただきに行って参りました。

江原 素六先生が戊辰戦争時に
滞陣したお寺といえば、おわかりになりますね。

重要文化材の祖師堂で、戒名や俗名でも
良心的に立派なお経をあげていただくことができます。

時代はどんなに変われども、岡崎藩士たちが大切にした
「忠義」の心を私も引きついでいます。

次回は小柳津さんのためにーー。
今日も1日よろしくお願いいたします。

康恵
2016.02.16 ID:154438
小柳津 要人 様

昨日はありがとうございました。

お墓の場所から
私の昔住んでいたお家が
あまりに近くて驚きました。

お供えしたお花は
ピンクのガーベラと白いトルコ桔梗。

「感謝、永遠の愛」

そのような花言葉を持つお花たち。

可愛らしいでしょ。

宗吾さんや淑子さんも喜んで下されば
私も嬉しい。

強風で飛ばされていなければ
いいけれど……

こちらのお花も今日は
ピンクのガーベラに。

今日も1日お見守り下さい。

康恵より
2016.02.15 ID:154390
小柳津 要人 様

高祖母・美喜が残した1枚の写真を手掛かりに
『小柳津要人 追遠』を携え、
箱根/三枚橋、沼津香貫/霊山寺、三島、沼津兵学校、
旧駒込林町とあなたの面影を尋ね歩きました。

時代はすっかり変わってしまったけれど
わかったことが1つあります。

岡崎藩士だった高祖母・美喜が
我が家最後の人間となる末裔の私に、
どうしても伝えておきたかった
「ずっと自分が大切にして生きてきたこと」

それは、美喜がまだ少女だったころから
亡くなるその瞬間まで抱き続けた
「小柳津さんへの憧れ、尊敬と感謝の気持ち」

350年続く我が家にとって
幕末や明治はそう遠い昔ではありません。

いつも小柳津さんを近くに感じ
情熱溢れるその生き方を時々思っては
何物にもかえがたい勇気をいただいています。

かつての本多忠勝公のように
劣勢極める徳川方の殿(しんがり)となり、
戊辰の夜明けを駆け抜けたそのお姿を
私はずっと忘れない。

小柳津さんの命の灯がともったこの日に
先祖からの深い尊敬と感謝の気持ちを込めてーー

小栁津さん、ありがとう。

美喜
五十嵐清彦(丸善株式会社 元重役)
康恵
2016.02.04 ID:153870
小柳津 要人様

もうすぐお誕生日ですね。

九段坂の写真館にて撮影したこのポートレイトは
今でも少しも色褪せることなく
とてもとても美しくお優しい眼差しです。

丸善のお写真や碧血会の集合写真は
お厳しい眼差しで、とても怖い表情なのに

なぜにこのお写真だけこれほど美しく、
あたたかい眼差しなのでしょう。

116年も前のお写真とはとても思えず
私まで恋してしまいそうです。

小柳津さんの情熱溢れるまっすぐな生き様が
時空を超え、今日も私を勇気づけて下さいます。

大好きなガーベラの花を持って
近々美喜、清彦と一緒に会いに参ります。

     本多岡崎藩 御用人 伊藤 太兵衛の娘・美喜 (弘化4/9/15生)
          五十嵐 清彦 (丸善株式会社 元重役)
                   康恵

                   
2015.12.07 ID:150582
小柳津 要人様

同じ岡崎藩士で、生前大変関わりの深かった、
伊藤氏の娘・美喜の玄孫でございます。

19世紀が終わる明治32年の11月23日に
美喜に送って下さった素敵なお写真のことを覚えていらっしゃいますか?
 美喜は亡くなるまでずっと、あなた様との思い出とこのお写真とを大切に大切にしていたと思います。
今は私の宝物として、時々あなた様の優しいお顔を拝見しています。

徳川への忠義を貫き、脱藩してまで、戊辰戦争に参加。
命をかけて戦ったあなた様のことを高祖母共々心より尊敬しております。
あなた様のお導きで、祖父は丸善に入社。その後は役員となり、
昭和の丸善を支えました。
 今年の12月20日で美喜は、没後90年を迎えます。
もしも、文久3年3月に戻れたら、西洋流大砲方として、江戸詰となるあなた様に何があっても必ずついていくよう、美喜に助言してあげたい。

小柳津さんあって、我が家の歴史が作られましたことを
感謝と尊敬の気持ちをこれからもずっと忘れません。
ありがとう。
 ID:30832
お悔やみ申し上げます
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