海軍軍人。愛媛県松山生まれ。兄の好古(よしふる)は陸軍大将として知られる。1890年海軍兵学校を首席で卒業。92年の日清戦争では、砲艦『筑紫』の航海士として参加。97年アメリカに留学、翌年輸送船『セグランサ号』に乗り込み、米西戦争を観戦。99年イギリスを視察。米英駐在の3年間に海軍の戦略・戦術・戦務の3概念を学び、帰国後は海軍大学校の教官となって普及させた。
1904年日露戦争が勃発すると、東郷平八郎の下で連合艦隊参謀となる。バルチック艦隊への迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献した。14年軍務局長となり、第一次大戦問題・及び中国への二十一か条要求問題において対中国強硬政策を主張。16年第一次世界大戦を視察し、総力戦の教訓を導入したが、それを生かせぬまま没した。
秋山真之 - Wikipedia