林董
はやし ただす
1850 - 1913
幕末 幕臣
- 亡くなってから111年163日過ぎました。
- 63歳で亡くなりました。
- 1850年04月11日に誕生、1913年07月10日に亡くなりました。
- 生誕170年が経過しました。没後107年が経過しました。
暮らした時代は、嘉永 から 大正 です。一覧
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林董さんの暮らした時代を表示しています。
嘉永(5年281日)
安政(6年86日)
万延(356日)
文久(3年0日)
元治(2年36日)
慶応(4年177日)
明治(45年197日)
大正(346日)
- 次の法要は38年212日後、2062年07月10日の百五十回忌です 一覧
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林董さんの主な法要の日を表示しています。
命日は07月10日です。
仏式の場合
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初七日 - 1913年07月16日
四十九日 - 1913年08月27日
百か日 - 1913年10月17日
一周忌 - 1914年07月10日
三回忌 - 1915年07月10日
七回忌 - 1919年07月10日
十三回忌 - 1925年07月10日
十七回忌 - 1929年07月10日
二十三回忌 - 1935年07月10日
二十五回忌 - 1937年07月10日
二十七回忌 - 1939年07月10日
三十三回忌 - 1945年07月10日
五十回忌 - 1962年07月10日
百回忌 - 2012年07月10日
百五十回忌 - 2062年07月10日
二百回忌 - 2112年07月10日
三百回忌 - 2212年07月10日
神式の場合
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十日祭 - 1913年07月19日
二十日祭 - 1913年07月29日
三十日祭 - 1913年08月08日
四十日祭 - 1913年08月18日
五十日祭 - 1913年08月28日
一年祭 - 1914年07月10日
三年祭 - 1916年07月10日
五年祭 - 1918年07月10日
十年祭 - 1923年07月10日
二十年祭 - 1933年07月10日
三十年祭 - 1943年07月10日
四十年祭 - 1953年07月10日
五十年祭 - 1963年07月10日
百年祭 - 2013年07月10日
百五十年祭 - 2063年07月10日
二百年祭 - 2113年07月10日
三百年祭 - 2213年07月10日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1913年07月12日
追悼ミサ(七日目) - 1913年07月16日
追悼ミサ(三十日目) - 1913年08月08日
死者記念のミサ(一年目) - 1914年07月10日
死者記念のミサ(十年目) - 1923年07月10日
死者記念のミサ(二十年目) - 1933年07月10日
死者記念のミサ(五十年目) - 1963年07月10日
死者記念のミサ(百年目) - 2013年07月10日
死者記念のミサ(二百年目) - 2113年07月10日
死者記念のミサ(三百年目) - 2213年07月10日
- 現在1人がこのページに訪れています。
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1時間:0人 1日:0人 1週:2人 1カ月:6人 1年:84人
詳細
林董さんについて
今日に続く「 順天堂病院 」の祖である
佐倉藩蘭方医・佐藤泰然を父に
幕末から明治期に医師として活躍した
松本良順(旧幕府軍軍医)を兄に持つ。
のちに幕府御典医・林洞海の養子となり
「 林 董 」としての人生を歩み始める。
幕末期は兄・良順とともに徳川方である
旧幕府軍の一員として戊辰の役に参加。
仙台で降伏した兄の志も引き継ぎ
箱館・五稜郭までを仲間とともに戦い抜いた。
ヘボン塾(現;明治学院)や英国留学で培った
英語を武器に明治4年(1871年)
明治政府に出仕。
工部省、香川県、兵庫県知事等を歴任し
明治24年(1891年)外務次官となる。
のち、駐露公使、駐英公使となり
日英同盟の締結に尽力した。
第一次西園寺内閣 外相
第二次西園寺内閣 逓信相として再度入閣
一時外相も兼任。爵位は「 伯爵 」
佐倉藩・藩校「 成徳書院 」
(現在;千葉県立佐倉高等学校)出身。
長く過ごした青山霊園の個人墓地から
同霊園の立体埋葬施設第2号に改葬。
若き日に徳川への忠義を貫き
箱館・五稜郭までを戦い抜いた仲間
丸善3代目社長の小柳津要人一家もともに眠る。
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