まいり
サイト継続の為ご支援お願いします m(_ _)m 詳細
[ 2023.04.02 ] ログイン機能APPLEを追加しました。
使い方・仕様 | ログインページ

林董

はやし ただす
1850 - 1913
幕末 幕臣
林董さんについて
今日に続く「 順天堂病院 」の祖である
佐倉藩蘭方医・佐藤泰然を父に
幕末から明治期に医師として活躍した
松本良順(旧幕府軍軍医)を兄に持つ。
のちに幕府御典医・林洞海の養子となり
「 林 董 」としての人生を歩み始める。

幕末期は兄・良順とともに徳川方である
旧幕府軍の一員として戊辰の役に参加。
仙台で降伏した兄の志も引き継ぎ
箱館・五稜郭までを仲間とともに戦い抜いた。

ヘボン塾(現;明治学院)や英国留学で培った
英語を武器に明治4年(1871年)
明治政府に出仕。
工部省、香川県、兵庫県知事等を歴任し
明治24年(1891年)外務次官となる。
のち、駐露公使、駐英公使となり
日英同盟の締結に尽力した。

第一次西園寺内閣 外相
第二次西園寺内閣 逓信相として再度入閣
一時外相も兼任。爵位は「 伯爵 」

佐倉藩・藩校「 成徳書院 」
(現在;千葉県立佐倉高等学校)出身。

長く過ごした青山霊園の個人墓地から
同霊園の立体埋葬施設第2号に改葬。
若き日に徳川への忠義を貫き
箱館・五稜郭までを戦い抜いた仲間
丸善3代目社長の小柳津要人一家もともに眠る。
2020.12.02 ID:1153139
私の大切な人たちの居場所を
教えてくださいまして
本当にありがとうございました。

私たち家族が江戸前期までは
佐藤家と同じ堀田佐倉藩士だったからか
私の古い家族が良順先生の弟子だったからか
色々な理由を1人考えてしまいました。

3年前私に伝えてくださったのに
意味がわからずそのままに。
偶然手にした明治44年発行『 日本橋記念誌 』の中で
静かに微笑むあなたの肖像写真が
「 そのままにするな 」と語りかけているようで
やはり謎は解かなければと思った次第です。

おかげをもちまして
先日再会することができました。
100年も前に亡くなった方が
どうしてこんな不思議な方法で
伝えてくださったのか謎は深まるばかりです。

そう遠くない未来、あの方を箱館・五稜郭の
碧血碑と開陽丸記念館にお連れしようと思っています。
その前に必ずお二人のいる場所へ出向きますので
もしよろしければ一緒に参りましょう。

本当にありがとうございました。
 ID:28980
お悔やみ申し上げます
ご支援をお願いいたしますm(_ _)m
Amazon ←のリンク、↑のバナー、又はお供えリンク経由で商品をご購入いただくとこのサイトに紹介料が支払われる仕組みになっています。ご購入者様のお支払い額は増えません(Amazonが紹介料を負担)ご支援いただけますと幸いです。
詳細はこちら
ログインするとサービスがご利用いただけます。
ログインページ